ジャン・ベガン
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略歴
ロレーヌ公国のロレーヌで生まれた。パリに移り、薬局を開き、国王アンリ4世の保護を受けるようになり、鉱物の研究のためにドイツやハンガリーへ旅し、バンスカー・シュチャヴニツァの金鉱山、銀鉱山を訪れた。
1604年にアンリ4世の主治医、ジャン・リビ(Jean Ribit de la Rivière)やテオドール・ド・マイエルヌ(Théodore de Mayerne)らの協力を受けて、薬剤師や治療薬の調合を行う医師のための学校を開き、精製、調合の実演と講義を行った[3]。これはパリで公的に行われた最初の化学の講義であるとされる。
講義についての、海賊版の出版を防ぐために1610年に、短い講義の概要を『化学入門』("Tyrocinium chymicum" )として出版した。実用的な内容であったため、最初はラテン語版で70ページほどに過ぎなかったテキストは、フランス語の版となり、1610年と1690年の間に、ベガンや別の学者によって、内容が追加され、41もの改定版が出版され、17世紀のフランスでもっともポピュラーな化学の教科書となった。さらにデヴィソン(William Davisson)や、de Claveなどの多くの学者の著作が現れるきっかけとなり、アンドリュー・プラマー(Andrew Plummer)、ウィリアム・カレン、ジョゼフ・ブラックらの初期の化学者に影響を与えた。
『化学入門』には、酢酸鉛を熱分解して、アセトンを作る方法などが記述されている[4]。また初期の反応式の記述が見られた。

