1996年、ネルギスは、チュクロヴァ・ホールディング(英語版)が所有していたインターバンク(英語版)の持分の大部分を取得した[2]。1997年12月、エティバンク(英語版)が民営化され、チャーラルとディンチ・ビルギン(英語版)が共同で所有するメディア=イペク・ホールディング (Medya-Ipek Holding) が1億5500万ドルでこれを取得し[3]、1998年9月にはチャーラルの織物生産への10億ドルの投資を祝いデミレルが新工場の始業式をおこなった[4]。この間、1998年2月には、アラティン・チャキジ(英語版)の下で動いていたグループが、銀行民営化との絡みで、チャーラルの暗殺を企てていたことが、警察によって明らかにされた[5]。
1999年1月7日、当時ネルギス・ホールディングが持分の過半をもっていたインターバンクが、トルコ預金保険機構(英語版) (TMSF) に移譲された[6]。この銀行は、後にエティバンクと合併したが、程なくして清算された[7][8]。同じ1月のうちに、NTVがドギュス・グループ(英語版)に売却された[9]。1999年6月には、1998年に行われていたインターバンクからネルギス・ホールディングへの資金移動が、同一グループ内の資金移動の法的規制の上限をはるかに超える6億5千万ドル超の金額に達していたとして、検察が追及を始めた[10]。ネルギスのインターバンクへの負債は、合わせて11億ドル以上とも言われた[10]。2001年1月、トルコ当局は、740万ドルの事業資金貸付を個人的目的に使ったとしてチャーラルの逮捕状を出した。チャーラルは4月にニューヨークで逮捕され、ニューヨークの裁判所が500万ドルの保釈金額を承認しなかったため、トルコに帰国して裁判を受けることに同意した[11][12][13]。
2004年、チャーラルは、インターバンクに関する負債として、TMSFへ16億ドルを支払うことに合意した。その支払いを継続できなくなると、彼の所有する他の企業が差し押さえられ、例えばブルサで発電事業をおこなうBİSエネルギー (BİS Enerji) の50%の持分がその対象となった[14]。複数のホテルや、ヘリコプター、メディア関連施設等も差し押さえられ、ネルギス・ホールディングの織物関係の企業も財務上の困難に陥り、2008年には785人の従業員が3か月以上の無給の一時解雇を強いられた[15]。返済の滞りは4500万ドルを超え、2008年にはイェシム・テキスタイル (Yeşim Tekstil) がハルク銀行()に差し押さえられた[16]。2008年10月、チャーラルは、残っていた織物関係の事業すべての売却に同意した[17]。
2004年、チャーラルは、インターバンクの破綻に関わる銀行不正の罪で懲役3年10か月の有罪判決を受けた[18][19]。当初、チャーラルは、2002年にはいったん無罪判決を得ていたが、政府側が上訴していた[20]。