ジュゼッペ・サケッリ
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ジェノヴァで役人の息子に生まれ[2]、父親の仕事のためにラヴェンナなどで暮らした。弟に詩人、ジャーナリストのアレサンドロ・サケッリ(Alessandro Sacheri: 1866-1927)がいる。絵の才能を示し、フィレンツェの美術アカデミーに入学し、アルトゥーロ・モラデイ(Arturo Moradei: 1840-1901)の弟子となり[3] 、1870年からラヴェンナで1880年まで絵画を学んだ。1882年に有名な美術教師のアントニオ・フォンタネージに学ぼうとトリノのアッカデミア・アルベルティーナに移るが、フォンタネージはその年に亡くなったため、ロレンツォ・デレアーニ(Lorenzo Delleani: 1840-1908)の人物画コースで学び、1883年度のコンクールで入賞した。
展覧会への出展を始め、比較的恵まれた境遇出会ったためニューヨークのメトロポリタン美術館や、北ヨーロッパを頻繁に訪れ、美術作品を研究した。ヤーコプ・ファン・ロイスダールやマインデルト・ホッベマといった17世紀のフランドルの画家の作品に強い感銘を受けた。特にオランダに何度も滞在し、デンマークやフィンランド、イギリスも訪ずれ、地中海とは異なる風景に刺激を受けた。
トリノで2年間活動した後、1892年にジェノヴァに戻り、ジェノヴァ市内の様々な地区に住んだ。ジェノヴァの海辺のストゥルラ地区のレストラン「Trattoria dei Mille」に集まったアンジェロ・コスタ(Angelo Costa)やエドアルド・デ・アルベルティス(Edoardo De Albertis)、アンドレア・フィガリ(Andrea Figari)、フェデリコ・マラリアーノ(Federico Maragliano)、プリニオ・ノメッリーニといった美術家や詩人、文学者と友人になった。
1896年にアンジェロ・バルビ(Angelo Balbi: 1872-1939)とダリオ・バルディネロ(Dario Bardinero:1868-1908)とともに美術家グループ「美術の友 (Amici dell’Arte)」を創立した。翌年別の美術家グループ「Famiglia Artistica」も立ち上げた。
1903年からはジェノヴァ県のボリアスコに住み、画家グイド・マイネリ(Guido Meineri: 1869-1944) の妹と結婚した。1913年にジェノヴァ県のキアーヴァリに移り、1919年に再びジェノヴァ市内に戻った。
11927年にピエモンテ州クーネオ県の田園地帯のピアンフェーイに移り晩年を過ごした。1950年にピアンフェーイで亡くなった。