ジュゼッペ・シューティ

From Wikipedia, the free encyclopedia

死没 1911年3月13日(1911-03-13)(77歳没)
イタリア、ローマ
ジュゼッペ・シューティ
Giuseppe Sciuti
1902年のジュゼッペ・シューティ
生誕 (1834-02-26) 1834年2月26日
イタリア、ザッフェラーナ・エトネーア
死没 1911年3月13日(1911-03-13)(77歳没)
イタリア、ローマ
テンプレートを表示
ジュゼッペ・シューティ作「サッサリ共和国の宣言」サッサリの県庁舎蔵

ジュゼッペ・シューティ(Giuseppe Sciuti、1834年2月26日 - 1911年3月13日)はシリア生まれのイタリアの画家である。歴史画などを描き19世紀のシチリアを代表する壁画画家とされる。

シチリア西部の港町ザッフェラーナ・エトネーアで薬剤師の息子に生まれた。シチリアのカターニアの画家、ジュゼッペ・ラピサルディ(Giuseppe Rapisardi: 1799-1853) やジュゼッペ・ガンドルフォ(1792-1855)に学んだ[1]。18歳になる頃には、フィレンツェローマで修行したいと思っていたが、1852年のエトナ山の噴火で父親の農場が被害を受け、画家の修行の資金が得られなくなり、地元の装飾画家のもとで働き、資金を貯めなければならなかった。シチリアで10年以上働いた後、フィレンツェに旅して修行し、フィレンツェで描いた作品は、後にカターニアで展示し、市政府によって買い上げられた。カターニアに戻り、装飾画の仕事をした後、1862年にナポリに移り、いくつかの作品を描き、ナポリやジェノヴァの展覧会に出展した[2]

1870年代以降は古代ローマやギリシャを題材にした作品を描いた。1873年のウィーン万国博覧会の展覧会に作品を出展し、賞を得た。1875年からはローマに移って活動した。

サッサリやルガーノでも働き、1888年にはイギリスのロンドンで展示会を開き、経済的な成功を収めた[3]

1896年にカターニアに戻り、カターニアの聖堂(Basilica Maria Santissima dell'Elemosina)のドームなどのフレスコ画を描いた。同時期に、ザッフェラーナ・エトネアの市庁舎に収蔵されている大作やカターニアのサンタガタ・ラ・ヴェテーレ教会(Chiesa di Sant'Agata la Vetere)の聖母子像などを描いた。

1902年にシチリアのアチレアーレで働き、パラッツォ・カランナ(Palazzo Calanna)の天井壁画などの、教会や貴族の邸の装飾画の注文を受けた。

1911年にローマ*で、77歳で亡くなった。

作品

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI