ジュディット・デヴルー
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ジュディットは、ギヨーム・デヴルーとロベール1世・ド・グランメニルの未亡人アヴォワーズ・ド・エショフールの娘で[1]、ウィリアム征服王(ノルマンディー公ギヨーム2世)の又従姉妹にあたる[2]。父ギヨームはルーアン大司教ロベール2世の息子、母アヴォワーズは裕福なノルマン貴族エショフール領主ジロイエの娘であった[3]。
異母兄で、ノルマン人のサン=テヴルール修道院長であったロベール・ド・グランメニルがジュディットの後見人であった[4]。1061年1月にノルマンディー公ギヨーム2世と口論した後、ロベールはジュディットや兄妹と共にノルマンディーからローマへ逃亡した[4]。最終的にロベールはカラブリア公ロベルト・イル・グイスカルドに頼った。カラブリア公ロベルトは修道院長を非常に尊敬し、ロベールと修道士たちをカラブリアに招いた[5]。カラブリア公ロベルトの弟ルッジェーロ1世は、ノルマンディーですでにジュディットと知り合いであったが、その当時とはルッジェーロの地位と運命は大きく変わっていた[4]。もはや貧しいノルマン人の下級貴族の息子ではなかったルッジェーロは、ジュディットがカラブリアにいると聞いて、ジュディットに会いに行った[4]。二人はすぐに結婚し、ルッジェーロはジュディットをミレートに連れて行き、そこで結婚式を挙げた[4]。
ルッジェーロはジュディットをミレートに残し、すぐにシチリア島への遠征に戻った[6]。翌年の夏、ルッジェーロはジュディットと合流し、ジュディットを連れてシチリア島へ渡り、300人の軍勢と共にトロイーナへと向かった。ジュディットを守備隊に託し、ルッジェーロは遠征を続けた[7]。ギリシャ人住民はルッジェーロの要塞を攻撃し、ジュディットを捕虜にし、身代金を要求してノルマン人がトロイーナから去ることを条件に身代金を要求しようとした[7]。守備隊はルッジェーロが戻り、ジュディットと彼女を守っていた部隊を救出するまで持ちこたえた[7]。その後4ヶ月間、ノルマン人はアラブ人と同盟を結んだギリシャ人と戦った[7]。ジュディットは夫とノルマン人部隊と共に、寒冷地と乏しい食料の中で苦難を分かち合った。ついにルッジェーロはアラブ人を撃退し、トロイーナを奪還した[8]。ルッジェーロは馬と物資を補充するために本土に戻る必要があり、再びジュディットを領地に残した[9]。この時、ジュディットはルッジェーロが戻るまで自ら城塞の指揮を執った[9]。