ジュニア小説
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富島健夫の認識
ジャンル批判と衰退
1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)にかけて、ジュニア雑誌はたびたびマスコミに取り上げられ、有害図書として叩かれた。1970年には富島の『おさな妻』が目立った標的となり[1]、掲載誌であった『ジュニア文芸』は1971年に廃刊した[5][注釈 1]。最大手誌[7]『小説ジュニア』は以降も存続するが、1982年に廃刊、『Cobalt』へと後継される。
1977年(昭和52年)に『小説ジュニア』でデビューし『Cobalt』の代表的作家となった氷室冴子は、『Cobalt』初期に積極的に「少女小説」の呼称を用いたことで知られている[8]。氷室のデビュー当時に読者であった久美沙織は後年、氷室以前のベテラン作家との世代差による感覚の乖離と、ほぼ同世代の新人であった氷室に感じた衝撃的な清新さを語っている[8]。
代表的な作家
代表的な雑誌
- 『小説ジュニア』(集英社) - 1965年、『女性明星』廃刊を受け後継誌として創刊[9]、最大手[7]、1982年廃刊(後継誌:『Cobalt』)
- 『ジュニア文芸』(小学館) - 1967年、『女学生の友』の姉雑誌として創刊[7] 、1971年廃刊
- 『美しい十代』(学習研究社) - 小説専門誌ではなく10代女性向けの総合雑誌であるが、ここに掲載された富島の作品はジュニア小説として語られる。富島のジュニア小説のキャリアは、1961年の本誌への寄稿に始まるとされるのが一般的[10]。
- 『若い人』(学燈社) - 小説専門誌ではなく青年誌であるが、ここに掲載された富島の作品はジュニア小説として語られる。