ジュリアス・チャロフ
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ロシア系の両親のもとにボストンに生まれる。著名なピアノ教師のマーガレット・ステッドマンと結婚した。息子サージはジャズ・ミュージシャンとなり、ウディ・ハーマンの楽団員として名を馳せた。門弟にも著名なジャズ・ミュージシャンがおり、キース・ジャレットやケニー・ワーナー、チック・コリア、ハービー・ハンコック、スティーヴ・キューンらを擁する。
少年時代に並外れた楽才を発揮して11歳でニューイングランド音楽院に入学し、アルフレッド・デヴォートーに師事した。6年間在籍した後、17歳でディプロマを修得し、当時最年少の卒業生となった。上級クラスに在籍中に、メイソン・アンド・ハムリン社によるピアノ・コンクールで1位になった(審査員はジョージ・ホワイトフィールド・チャドウィックとチャールズ・マーティン・レフラーならびにマックス・フィードラーであった)。
チャロフは長年ヨーロッパに過ごし、ベルリンでポーランド人ピアニストのイグナツ・フリードマンに師事した。作曲と指揮法はフーゴー・カウンに師事している。1913年1月18日に、ブリュートナー交響楽団(Symphonisches Blüthner-Orchester Berlin )と共演してベルリンにデビューし、著しい成功を収めた。
1913年に機械の天才チャールズ・ストッダードと出逢い、アンピコ社のために自動再生ピアノを開発して完成させる。この楽器は、黄金時代の偉大なヴィルトゥオーゾの至芸を後世に伝えるものとなり、ラフマニノフやレヴィーンなどのアメリカ在住の著名なコンサート・ピアニストが、アンピコ社に録音した。チャロフもまたその一人となった。