ジュリー・ロンドン
アメリカの歌手、女優 (1926-2000)
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ジュリー・ロンドン(Julie London、1926年9月26日 - 2000年10月18日)は、アメリカ合衆国の歌手、女優。
来歴
本名はゲイル・ペック(Gayle Peck)であり、身長は157cmと米国人女性としては小柄だった。[1]1926年9月26日、彼女はアメリカ合衆国カリフォルニア州サンタローザに生まれた。両親はヴォードヴィルの歌と踊りのチームでラジオ番組を持っており、幼い頃のジュリーもその番組に出演して、3歳の時にはマレーネ・ディートリヒのヒット曲を披露したという。[2]
1941年、ロサンゼルスに移住するとともに、15歳でエレベーターガールとして就職した。まもなく、俳優のエージェントをしていたスー・キャロル(故アラン・ラッド夫人)にその美貌を評価され、芸能界にスカウトされる。[3]
1944年、『ジャングルの妖女』で映画女優としてデビュー。『赤い家』『愛と血の大地』『機動部隊』原題:Task Force(1949)などの映画にワーナー・ブラザース・ニューフェイスとして出演した。[4][5]。しかし、女優としては役柄に恵まれず、下積み時代を過ごした。
1947年に役者のジャック・ウェッブ(Jack Webb)と結婚し、徐々に主婦業に専念するようになった。彼女は二人の娘を出産した。しかし、二人は1953年に離婚している。[6]やがて彼女は、ボビー・トゥループ(Bobby Troup)の勧めで芸能界へ復帰。歌手に転向し、ナイトクラブで歌うようになった。ジャズピアニストで「ルート66(Route 66)」[7]の作曲家としても有名なトゥループの指導を受け、本格的なジャズシンガーとしてのキャリアをスタートさせた。
1955年、ファーストアルバム『Julie Is Her Name(邦題:彼女の名はジュリー)』を録音。同アルバム内からシングル・カットされた『クライ・ミー・ア・リバー(Cry Me a River)』がヒットして一躍人気歌手となり、同時に映画活動も再開。人気の理由として、その美貌と共にハスキーボイスが挙げられる。ジュリーの声は「スモーキー・ヴォイス」とも呼ばれていた。『女はそれを我慢できない』『西部の人』などに出演するなど、一躍スターとなる。歌手としては主にスタンダード・ナンバーを数多く歌い、レコードを発表している。また、『You'd Be So Nice To Come Home To(帰ってくれれば嬉しいわ)』[8]は、日本ではヘレン・メリル版がよく知られているが、アメリカではジュリー・ロンドン版も知られている。
1959年12月31日、トゥループと結婚し、トゥループのプロデュースでアルバムもリリースした。[9]1964年にはボビー・トゥループ楽団とともに来日も果たし、都内赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテン・クオーター」に連日出演した。特に5月25日の演奏は実況録音され、後年「ジュリー・ロンドン・ライヴ・アット・ニュー・ラテン・クオーター」としてCD化されている。 その後はテレビドラマ『エマージェンシー!』などでテレビや映画に出演しているものの、歌手としての一線は退いている。
1995年に脳卒中で倒れてから体調不良が続いた。。2000年10月18日、彼女はカリフォルニア州エンシノにある病院で、心臓病のため74歳で死去した。アメリカ、ヨーロッパ、日本など各国報道機関がジュリーの死を報じた。ジュリーがかなりのアルコール好きだったことが死因に関係しているとされる。
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの「7000 Hollywood Blvd.」(レコード分野)には、ジュリーの星がある。
フィルモグラフィ
ディスコグラフィ
代表曲
- 1957年のソフィア・ローレン、アラン・ラッド主演の映画『島の女』(原題:『Boy on a Dolphin』)主題歌。ジュリーは歌のみで出演はしていない。
アルバム
アルバムはいずれもリバティ・レコードから発売。
- 彼女の名はジュリー
- ロンリー・ガール
- カレンダー・ガール
- アバウト・ザ・ブルース
- メイク・ラヴ・トゥー・ミー
- ジュリー
- 彼女の名はジュリー vol.2
- ロンドン・バイ・ナイト
- スイング・ミー・アン・オールド・ソング
- ユア・ナンバー・プリーズ
- ジュリー・アット・ホーム
- アラウンド・ミッドナイト
- センド・フォー・ミー
- ホワットエヴァー・ジュリー・ウォンツ
- ソフィスティケイテッド・レディ
- ラヴ・レターズ
- ラヴ・オン・ザ・ロックス
- ラテン・イン・ア・サテン・ムード
- この世の果てまで(ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド)
- ザ・ワンダフル・ワールド・オブ・ジュリー・ロンドン
- ユー・ドント・ハヴ・トゥー・ビー・ア・ベイビー・トゥー・クライ
- イン・パーソン・アット・ジ・アメリカーナ
- アワ・フェア・レディ
- フィーリング・グッド
- オール・スルー・ザ・ナイト
- フォー・ザ・ナイト・ピープル
- ナイス・ガールズ・ドント・ステイ・フォー・ブレックファスト
- ウィズ・ボディ・アンド・ソウル
- イージー・ダズ・イット
- ヤミー・ヤミー・ヤミー
編集盤
- ジュリー・ロンドン・シングル・コレクション vol.1
- ジュリー・ロンドン・シングル・コレクション vol.2
- 2010年発売の「ジュリー・ロンドン・オリジナル紙ジャケ・コレクション・シリーズ」のキャンペーンで応募者に配布された特典CD。アルバム未収録のシングル・EPの曲が収録されている。各CDの解説書に付属の応募券10枚で、上記2枚の内1枚が応募者にプレゼントされた。
特別番組『The Julie London Show』
初来日の1964年5月28日にTBSで収録された特別番組で、ボビートゥループ楽団とともに下記楽曲を披露した。
- Lonesome Road
- Bye Bye Blackbird
- Daddy
- My Baby Just Cares For Me
- Fly Me To The Moon
- Send For Me
- Come Rain Or Come Shine
- I Left My Heart In San Francisco
- Route 66(ボビー・トゥループによる歌唱)
- Sweet Georgia Brown(ボビー・トゥループによる歌唱)
- Tenderly
- My Funny Valentine 〜 Misty
- Deed I Do
- Let There Be Love
- You'D Be So Nice To Come Home To
- Kansas City
- Cry Me A River
ボビー・トゥループは『Route 66』を歌った後、一礼してから日本語でと挨拶している。映像は1987年に東芝EMIよりレーザーディスクとVHSで販売された。