ジュール=フェルディナン・ジャクマール
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パリで生まれた。父親のアルベール・ジャクマール(Albert Jacquemart: 1808-1875)は陶芸史などの研究家、美術収集家、アマチュア画家で父親から最初の芸術の指導を受けた。妹のネリー・ジャックマール(Nélie Jacquemart: 1841-1912)も画家になり、銀行家で美術収集家とエドゥアール・アンドレ(Édouard André)と結婚し、妹夫妻の邸宅は後にジャックマール=アンドレ美術館になった。
1859年から美術雑誌『Gazette des beaux-arts』の挿絵を制作し、1861年にパリのサロンに絵画や版画を出展した。水彩画家としても成功したが、すぐに銅版画を主な活動分野にし、父親の著作のためにも多くの図版を制作した。磁器の歴史や家具の歴史に関する図版を制作した。1873年のウィーン滞在中に肺疾患にかかった後、水彩画と肖像版画に専念した。ほとんどの冬を南フランスのマントンで過ごした。
1879年に、ウジェーヌ・ラミやギュスターヴ・ドレ、ウジェーヌ・イザベイらと「フランス水画家協会(Société d'aquarellistes français)」の創設メンバーの一人となり展覧会に作品を出展した[2][3]。
日本の版画の初期の収集家の一人であり、ジェームズ・ティソやフェリックス・ブラックモンと共にジャポニスムの芸術家として活動した。フィリップ・ビュルティやアンリ・ファンタン=ラトゥール、ブラックモンと共に、日本の美術と文化を研究する日本美術愛好家のグループ「ジャングラールの会」のメンバーであった。
1880年にパリで43歳で亡くなった[4]。