ジュール=フェルディナン・ジャクマール

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生誕 (1837-09-03) 1837年9月3日
フランス、パリ
死没 1880年9月26日(1880-09-26)(43歳没)
フランス、パリ
ジュール=フェルディナン・ジャクマール
Jules-Ferdinand Jacquemart
マルスラン・デブータンによる肖像画 (1876)
生誕 (1837-09-03) 1837年9月3日
フランス、パリ
死没 1880年9月26日(1880-09-26)(43歳没)
フランス、パリ
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ジュール=フェルディナン・ジャクマール(Jules-Ferdinand Jacquemart、ジュール・ジャクマールとも[1]1837年9月3日1880年9月26日)は、フランスの版画家、画家である。

パリで生まれた。父親のアルベール・ジャクマール(Albert Jacquemart: 1808-1875)は陶芸史などの研究家、美術収集家、アマチュア画家で父親から最初の芸術の指導を受けた。妹のネリー・ジャックマール(Nélie Jacquemart: 1841-1912)も画家になり、銀行家で美術収集家とエドゥアール・アンドレ(Édouard André)と結婚し、妹夫妻の邸宅は後にジャックマール=アンドレ美術館になった。

1859年から美術雑誌『Gazette des beaux-arts』の挿絵を制作し、1861年にパリのサロンに絵画や版画を出展した。水彩画家としても成功したが、すぐに銅版画を主な活動分野にし、父親の著作のためにも多くの図版を制作した。磁器の歴史や家具の歴史に関する図版を制作した。1873年のウィーン滞在中に肺疾患にかかった後、水彩画と肖像版画に専念した。ほとんどの冬を南フランスのマントンで過ごした。

1879年に、ウジェーヌ・ラミギュスターヴ・ドレウジェーヌ・イザベイらと「フランス水画家協会(Société d'aquarellistes français)」の創設メンバーの一人となり展覧会に作品を出展した[2][3]

日本の版画の初期の収集家の一人であり、ジェームズ・ティソフェリックス・ブラックモンと共にジャポニスムの芸術家として活動した。フィリップ・ビュルティアンリ・ファンタン=ラトゥール、ブラックモンと共に、日本の美術と文化を研究する日本美術愛好家のグループ「ジャングラールの会」のメンバーであった。

1880年にパリで43歳で亡くなった[4]

作品

脚注

参考文献

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