ジョアン・ボスコ
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ミナスジェライス州のポンチ・ノヴァにアラブ系移民の子として生まれた。リオデジャネイロへ出たときエンジニアの仕事をしていたが、詩人アルヂール・ブランキとコンビを組み、1972年に自作曲「バラ・コン・バラ」をはじめ、「メストリ・サラ・ドス・マーリス」、「酔っ払いと綱渡り芸人」などがエリス・レジーナにレコーディングされ成功を収めた。間もなく自身も卓越したヴォーカリスト、ダイナミックなパフォーマーとして賞賛されるようになった。ブラジルではギター演奏が盛んな国だが、中でもライブでの彼のソロ演奏は特筆すべきパフォーマンスとして知られ、1983年のライブアルバム『100ª Apresentação』は評価が高い。
ジョアン・ボスコはアメリカのジャズに影響された、「アラブ文化、アフリカ系アメリカ音楽、ブラジルのボサノバスタイルの融合」で有名となった。なお彼自身は、その中でも最も自分に影響を与えたのは、サンバの母とも称えられるクレメンチーナ・ヂ・ジェズースであると語っている。彼女の影響によりサンバのルーツ、また一形態であるパルチールド・アルトやアンゴラ起源のジョンゴをベースとするなど、アフロ色の強い曲が多い。
彼の3巻のソングブックの序文でアルミール・シェジアッキ(Almir Chediak)は、「才能ある作曲家ジョアン・ボスコの旋律的、和声的な構造は、ブラジル音楽の中でも最も幸福なもの」と論評している [1] 。
代表曲
- "O Bêbado e a Equilibrista" 「酔っ払いと綱渡り芸人」
- "Coisa Feita" 「コイザ・フェイタ」
- "Corsário" 「海賊」
- "Incompatibilidade de Gênios (Latin Lover)"
- "Jade" 「翡翠」
- "Kid Cavaquinho" 「キッヂ・カバキーニョ」
- "Papel Marchê" 「パペウ・マルシェ(紙人形)」
- "Prêt-à-Porter de Tafetá" 「タフタのドレス」
