ウォードはサウスダコタが州昇格するための運動の指導者となり、様々な協議会の代表を務め、またアメリカ合衆国議会に州昇格を請願する1885年委員会の委員になった。ウォードは憲法草案の大半を起草し、憲法制定協議会議事録を作る委員会の委員長も務めた。州の標語である「神の下に人民の規則」("Under God the People Rule")を作り、州章の説明を書いた。1889年の最後の憲法制定協議会のときは病に倒れて出席できず、サウスダコタの州昇格が認められた数週間後にあたる1889年12月11日に死んだ。