ダコタ準州
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ダコタ準州の領域の大半は、元々はミネソタ準州とネブラスカ準州だった。ネブラスカ準州のほぼ北半分全域と、ミネソタ準州が1858年に州に昇格した時、自治化されなかった(新しい州に含まれなかった)地域(東をレッド川、西をミズーリ川に囲まれた部分)の初期開拓者らは、同年、ヤンクトン - スー族との条約[1]が調印され、ラコタ族の土地のほとんどがアメリカ合衆国に割譲された頃、非公式に暫定政府を樹立し、アメリカ合衆国の準州となるべく働きかけを行ったが不成功に終わった。しかし、当時大統領就任直前のエイブラハム・リンカーンとは義理の従兄弟にあたる J・B・S・トッドが自ら請願を行い、連邦議会が正式にダコタ準州設立が承認されるのにその後3年は掛からなかった。
1861年3月2日に連邦議会自治法により自治化され、準州となった。この時点でのダコタ準州は、現在の南北ダコタ州のほかモンタナ州およびワイオミング州の大半を含む面積を持っていたが、1868年までにこれら2地域も準州として分離したため、ダコタ準州はほぼ現在の南北両ダコタ州を合わせた領域に減少した。

準州都は1861年から1883年までヤンクトンにおかれ、その後ビスマークに移された。ダコタ準州は1889年にノースダコタ州とサウスダコタ州に分割された。1つの準州から2つの州の昇格を認めるということには多くの理由があった。準州内には2つの人口の中心があり、それぞれ準州の北東と南東の隅にあり、その間は数百マイルも離れていたことが一つの理由だった。さらに国政的に見れば、1つではなく2つの州とすることで(州の数に比例する)上院議員定数が増えるので、この地域を地盤としていた共和党はその議員数を増やすことができるという目論見があった。
