ジョセフ・ホルト (政治家)
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ジョセフ・ホルト(Joseph Holt, 1807年1月6日 - 1894年8月1日)は、アメリカ合衆国の政治家。1859年から1860年まで第21代アメリカ合衆国郵政長官、1860年から1861年まで第25代アメリカ合衆国陸軍長官、1862年から1865年まで第6代アメリカ合衆国陸軍法務総監を務めた。
1807年1月6日、ホルトはケンタッキー州ブレッキンリッジ郡において、ジョン・ホルト (John Holt) とエレノア・スティーヴンズ (Eleanor Stephens) の息子として誕生した。ホルトはケンタッキー州バーズタウンの聖ジョセフ大学と同州ダンビルのセンター大学で学んだ。ホルトは1828年にケンタッキー州エリザベスタウンに移住し、弁護士業を開業した。
1832年、ホルトはケンタッキー州ルイビルに移り、メアリー・ハリソン (Mary Harrison) と結婚した。ホルトは1832年にルイヴィル・アドバタイザーの副編集長を務め、1833年から1835年までケンタッキー州検察官を務めた。
1835年、ホルトはメアリーとミシシッピ州ポート・ギブソンに移り、そこで弁護士業を営んだ。だが間もなくメアリーは結核を患ったため、ホルトはメアリーとともにルイヴィルへ戻った。だがメアリーの健康は回復せず、間もなく死去した。ホルトはポート・ギブソンにおいて1842年まで弁護士業を継続した。
ホルトはその後、マーガレット・ウィックリフ (Margaret Wickliffe) と再婚した。
ブキャナン政権
1857年、ホルトは特許庁長官に任ぜられた。ホルトはワシントンD.C.に移り、1859年まで同職を務めた。1857年、ホルトはジェームズ・ブキャナン大統領によって、郵政長官に任ぜられた。これは前任の郵政長官アーロン・ヴェナブル・ブラウンの死去に伴うものであった。当時のブキャナン政権は、南部諸邦の連邦離脱によって苦境に見舞われていた。大統領顧問団の多くが辞任したが、ホルトは反奴隷と連邦維持を強く支持した。
1859年、陸軍長官ジョン・ブキャナン・フロイドが南部支持のため大統領顧問団を辞任した。ブキャナン大統領はホルトを郵政長官から陸軍長官へ転任させ、体制の維持を図った。ホルトは南北戦争における初期の指導者として、ブキャナン大統領の任期満了まで陸軍長官を務めた。
