ジョルジュ・マティアス
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1826年、パリでドイツ人の父親、ポーランド人の母親との間に生まれる。プライヴェートでフリードリヒ・カルクブレンナーにピアノと作曲を師事した後、1838年にフレデリック・ショパンに師事する。ショパンへの師事期間はさまざまな諸説があるが、最低5年は師事したとされている。
1842年、パリ音楽院作曲家に登録してアンリ・モンタン・ベルトンのクラスで学び[1]、フランソワ・バザンとジャック・アレヴィに作曲を師事する。1847年に対位法・フーガで第1次席を獲得、翌年にロ ーマ大賞第2等の第2席を得た[1]。1850年に《アレグロ・アパッショナート》第 1 番 作品 5 を出版。
1862年、練習曲集《様式と メカニスムの特別な練習曲集》290作品 28 を出版、音楽院の教材に採用される。同年、同音楽院ピアノ科のローラン教授(Adolphe-François LAURENT、1796-1867)の引退にともなう後任として、ロッシーニ、トロロン(Raymond-Theodore Troplong、政治家)、アドルフ・ティエールらの支持を得、任命権を持つ同じポーランド系の国務大臣アレクサンドル・ヴァレフスキとその妻へ書き送った嘆願書などが功を奏し、古参の候補者を抑えて33歳で就任し、1893年まで務める[1]。
1872年、レジオンドヌール勲章を受賞。
1910年10月14日、パリで逝去(84歳)。
作品
- 様式とメカニズムの特別な練習曲 Op.28
- ピアノ三重奏曲第6番 Op.60