ジョン・シェルドン (解剖学者)
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ロンドンに生まれた。外科医組合(1800年からイングランド王立外科医師会)の最初の教授、ヘンリー・ワトソン(Henry Watson)の弟子となり、トトナム・コート・ロードのワトソンの個人博物館で解剖学を学び、後には教えた。1775年に外科医組合から資格を得た後、ウインドミル・ストリートのウィリアム・ハンターの外科の個人学校で教えた[1]。
General Medical Asylumの外科医を務め、1782年にロイヤル・アカデミーの解剖学の教授となった。1784年に王立協会フェローに選ばれ、1786年にるウェストミンスター病院の外科医になるが2年でその職を辞した[1]。
1777年から、グレート・クィーン・ストリートで個人学校を開き、解剖学を教えた[1]。解剖学の個人学校を開いていた、ウィリアム・ヒュースンやマグヌス・ファルコナーが没した後なので、有望な若手教師として評価された[2]。シェルドンに学んだ学者には、トーマス・ベドーズやジョシュア・ブルックスがいる[3][4]。チャールズ・トライ(Charles Brandon Trye)を助手に雇った[5]。この個人学校はシェルドがロンドンを去った後、ジョン・ハンターの弟子のジェームズ・ウィルソンが引き継いだ[1]。
1788年に、毒を塗ったモリで簡単にクジラを捕獲する方法を発見したという妄想にとらわれ、それを試すためにクリーンランドへ旅立った。別の船で送り返されたが、その後、双極性障害(躁鬱病)と思われる症状に悩まされることになった[2]。1797年にエクセターで外科医をした。エクセターで没した[1]。
解剖学の分野ではウィリアム・ハンターのアイデアを受けて、解剖のための死体保存の方法や、リンパ系の研究をした[1]。

