スイスのジュネーヴでユグノーの家系に生まれた。弟のアルフレッド・エドワード・シャロン(1780-1860)は肖像画家になった。1790年代の初めに、父親がイングランド、バッキンガムシャーのサンドハースト王立陸軍士官学校のフランス語や文学教授に任命され、家族とイギリスに移った。
1796年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校に入学した。1800年に「食事中の山賊(Banditti at their Repast)」という作品を発表している。1808年に弟のアルフレッドや仲間と美術家グループを結成し、水彩画協会(Water-Colour Society)に入会したが、1813年に水彩画協会を退会し、油彩画を再び、ロイヤル・アカデミーの展覧会に出展するようになった。
1816年に投降したナポレオン・ボナパルトが乗船しているイギリスの軍艦ベレロフォンを描いた「プリマスのナポレオンが乗せられているベレロフォン( 'Bellerophon' with Napoleon Aboard at Plymouth (26 July - 4 August 1815) Edit this at Wikidata)」を描き、王立海軍大学校に寄贈した。
1820年に版画集「パリ風俗のスケッチ(Sketches of Parisian Manners)」を出版した。アメリカ出身の画家、チャールズ・ロバート・レスリー(1794-1859)と親しかった。1827年にロイヤル・アカデミーの準会員に選ばれ、1841年に正会員に選ばれた。
1847年に脳卒中を発症し、闘病の期間のあと、1854年にロンドンで没した。