ジョン・スチュアート・カリー

From Wikipedia, the free encyclopedia

ジョン・スチュアート・カリー(John Steuart Curry、 1897年11月14日 - 1946年8月29日)はアメリカ合衆国の画家である。トーマス・ハート・ベントンとともに1920年代から1930年のアメリカで起こった「リジョナリズム(Regionalism:地方主義)」を代表する画家である。[1]


カンザス州ジェファーソン郡のDunavantに生まれた。両親は農業を営んでいたが大学で教育を受け、新婚旅行ではヨーロッパを旅したような家庭であった。地元の学校で学び、運動選手として活躍した。家庭にはピーテル・パウル・ルーベンスギュスターヴ・ドレの複製画があってカリーに美術への興味を持たせた[2]。美術を学び始め1916年にカンザスシティの美術学校に入学し、1か月後にはシカゴの美術学校に移った。シカゴで2年間学んだ後、1918年からペンシルベニア州ビーバー郡のジェネバ・カレッジで学んだ。

1921年に卒業後、イラストレーターとして働き 「 Boys' Life」や「 St. Nicholas」、「County Gentleman」、「サタデー・イブニング・ポスト」などの雑誌の挿絵を描いた[3]

1926年に1年間パリで学び、ギュスターヴ・クールベオノレ・ドーミエの作品から影響を受けた。アメリカに戻った後、しばらくニューヨークで過ごし、結婚した後、コネチカット州のウエストポートに移るが、妻は1932年に亡くなった。サーカスと旅をするなどして過ごした後、1934年に再婚した。1930年代の世界恐慌の影響から美術家を救うための公共事業促進局が推進した連邦美術計画の、壁画の仕事などを行った[4]

アメリカ中西部を中心に描いた画家で、トーマス・ハート・ベントングラント・ウッドとともに「リジョナリズム」を代表する画家となった。

作品

参考文献

関連図書

Related Articles

Wikiwand AI