ジョン・デンスモア
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人物
デンズモアは1944年、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。サンタモニカカレッジとカリフォルニア州立大学ノースリッジ校で学んだ彼は、1965年、旧知のレイ・マンザレクに誘われて、ドラマーとしてドアーズに加入する。
ジム・モリソンの死後も1973年まで、残されたマンザレク、ロビー・クリーガーと共に3名でドアーズとして活動した。
ドアーズの解散後は、クリーガーとともにバッツ・バンド(Butts Band)を組んで活動して2枚のアルバムを発表したほか、1978年に発売されたドアーズのアルバム『アメリカン・プレイヤー』では、マンザレク、クリーガーとともにモリソンの残した詩の朗読テープにあわせたバック・トラックを録音した。その後も、ドアーズ関連のプロモーションには3名で「ドアーズ」として活動し、バンド時代には叶わなかった来日も果たしている。
その後、演技の勉強をして俳優として活動するようになる。1991年の映画『ドアーズ』では、監督のオリバー・ストーンと対立して一切の協力から手を引いたマンザレクとは対照的に、クリーガーとともに映画製作に協力し、録音エンジニアの役でカメオ出演もしている。
1990年には、ドアーズのメンバーとして活動していた時のバンドの内面や自らの苦悩を記した自伝『Riders on the Storm』(邦題『ドアーズ』早川書房)を出版する。同書からは、モリソンとモリソンを擁護するマンザレクに対して、モリソンの奇行に戸惑うデンズモアとクリーガーという対立軸があったことが読み取れる。その影響は後年まで続き、解散後のデンズモアは、モリソンの伝道者であるマンザレクから一定の距離をおいている一方、クリーガーとは良好な関係を築き、演奏活動で時に共演もしている[注釈 1]。
2002年には、マンザレクとクリーガーが「21世紀のドアーズ(The Doors 21st Century)」として活動を開始したが、デンズモアは参加せず、2003年には「ドアーズ」のバンド名使用差し止めの訴訟を起こした。やがて訴訟にはモリソンの遺族も加わり、2005年には訴えが認められ、バンド名は「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」、後に「マンザレク・クリーガー」となった。デンズモアはこのバンドに誘われていないと主張したため、マンザレクとクリーガーは公式にバンドへの参加を呼び掛けたが、彼は応えなかった。
デンズモアはその後も作家[1]・俳優として活動を続けている。ドアーズ関連の活動も続けており、バンドの40周年記念DVD製作に協力したほか、クリーガーとともに演奏活動も行っている。
著書
- Densmore, John (1990). Riders on the Storm: My Life With Jim Morrison and the Doors. Delacorte Press. ISBN 978-0385300339
- ジョン・デンズモア (1991). ドアーズ. 飛田野 裕子(訳). 早川書房. ISBN 978-4152034830
- Densmore, John (2020). The Seekers: Meetings With Remarkable Musicians (and Other Artists). Da Capo. ISBN 978-0306846236
- Densmore, John (2023). The Doors Unhinged: Jim Morrison's Legacy Goes on Trial. Constable. ISBN 978-1408719909