ジョン・ビング (第5代トリントン子爵)
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第3代トリントン子爵ジョージ・ビングと妻エリザベス(Elizabeth、旧姓ダニエル(Daniel)、1759年3月17日没、ライオネル・ダニエルの娘)の次男として、1743年2月18日に生まれた[1]。ウェストミンスター・スクールで教育を受けたが[1]、のちに出版された子爵自身の日記によれば、この時点で軍人としての道を歩むことが予想された[2]。1753年1月25日に国王ジョージ2世のページ・オブ・オナーに就任、1760年3月25日までに退任した[3]。
1760年1月11日にコルネット(騎兵少尉)としてロイヤル・ホース・ガーズに入隊、1762年3月29日に第58歩兵連隊の大尉に昇進した[1]。ただし、第58歩兵連隊は米州植民地に駐留しており、『オックスフォード英国人名事典』はこれを名目上の任命にすぎないとしている[2]。同年8月11日にグレナディアガーズの連隊中尉および陸軍大尉に転じ[1]、七年戦争のドイツ戦役に参戦した[2]。1776年4月26日に連隊大尉および陸軍中佐に昇進したが[1]、アメリカ独立戦争に参戦しなかった[2]。ちょうどこの時期に家計が悪化して、1777年11月に大陸ヨーロッパに一時逃亡した上[2]、1780年5月18日には軍務から引退した[1]。
1782年6月1日から1799年まで印紙委員(Commissioner of Stamps)を務めた[1]。『完全貴族要覧』によれば、政治ではおそらくホイッグ党に属した[1]。
1812年12月14日に兄ジョージが死去すると、トリントン子爵位を継承した[1]。しかし、わずか25日後の1813年1月8日にセント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエアのテンターデン・ストリート(Tenterden Street)で死去、息子ジョージが爵位を継承した[1]。
人物
『オックスフォード英国人名事典』によれば、存命中には無名な人物であり、死亡記事すら掲載されなかった[2]。死去から1世紀以上経過した1930年代になって、1781年から1794年までの日記が出版されたことで注目を受けた[2]。この日記によれば、第5代トリントン子爵は度々馬に乗ってイングランドとウェールズを旅しており、旅自体や道中でみた城、教会、邸宅の詳細を記録することが目的だという[2]。ウィリアム・ウィンダムの日記によれば、ビングは1774年にウィンダムとともにイングランド中部と北部を旅したが、トリントン子爵自身が記録を始めたのは1780年のことだった[2]。
『オックスフォード英国人名事典』が評するところでは、上流社会の形だけの行為や退屈な場面、自身の財政難に直面したときは気難しく怒りっぽい一面もあるが、楽天家であり、「世界のあり方に喜び、その過ごしやすさに満足する」(to be pleased with the world, and content with its comforts、子爵の日記から引用)よう努めた[2]。
