ジョン・ヘイスティングス (第3代ペンブルック伯)
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| ジョン・ヘイスティングス John Hastings | |
|---|---|
| 第3代ペンブルック伯 | |
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| 在位 | 1375年 - 1389年 |
| 称号 |
第5代ヘイスティングス男爵 第3代マニー男爵 アバーガベニー男爵 |
| 出生 |
1372年10月 |
| 死去 |
1389年12月30日 |
| 配偶者 | エリザベス・オブ・ランカスター |
| フィリッパ・モーティマー | |
| 家名 | ヘイスティングス家 |
| 父親 | 第2代ペンブルック伯ジョン・ヘイスティングス |
| 母親 | 第2代マニー女男爵アン・マニー |
第3代ペンブルック伯ジョン・ヘイスティングス(John Hastings, 1372年10月 - 1389年12月30日)は、第2代ペンブルック伯ジョン・ヘイスティングスと第2代マニー女男爵アン・マニーの息子。アバーガベニー男爵でもあった。
ジョンは1375年に幼年で父の跡を継いでペンブルック伯となり、同年ウィリアム・ド・カンティループの死去によりその領地も継承した[1]。1380年にランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘エリザベス・オブ・ランカスターと結婚したが、この結婚は完遂されず(結婚当時ジョンは8歳、エリザベスは17歳)、エリザベスがジョン・ホランドとの間の子を妊娠したため結婚は無効となった。エリザベスはその後ジョン・ホランドと結婚した[2]。ジョンはその後、第3代マーチ伯エドマンド・モーティマーの娘フィリッパ・モーティマーと結婚したが、子供は生まれなかった。
リチャード2世は、1389年クリスマスにウッドストック宮殿に滞在し、17歳であったジョンは馬上槍試合を含むスポーツに参加した。サー・ジョン・デスと戦っていた際に、ジョンは相手の槍で股間を撃たれ、その後この傷がもとで死去した。ジョンの死により、ペンブルック伯位とマニー男爵位は断絶し、ヘイスティングス男爵位は従兄弟の第6代ヘイスティングス男爵ジョン・ヘイスティングスに継承された[3]。また、ケントのタンストール荘園は従兄弟の第3代グレイ・ド・ルーシン男爵レジナルド・グレイに継承された[4]。ジョンの従兄弟たちは財産権をめぐって何年も訴訟を起こしたが、第6代ヘイスティングス男爵の弟である第7代ヘイスティングス男爵エドワード・ヘイスティングスが未成年の間は解決が滞った[4]。年代記作者によると、ジョンは親切で寛大な性格であったため、その死は貴族だけでなく庶民からも悲しまれたという。