ジョン・ベレスフォード (第5代ウォーターフォード侯爵)
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第4代ウォーターフォード侯爵ジョン・ド・ラ・プア・ベレスフォードとクリスティアナ・レズリー(Christiana Leslie、1905年5月19日没、チャールズ・ポウェル・レズリーの娘)の息子として、1844年5月21日にロンドンで生まれた[1]。イートン・カレッジで教育を受けた[1]。
1862年から1869年までライフガーズ第1連隊で士官を務めた[1]。
1865年イギリス総選挙でカウンティ・ウォーターフォード選挙区から選出され庶民院議員になり、1866年11月6日に父が死去するとウォーターフォード侯爵位を継承[1]、貴族院に移籍した。
1868年11月17日、聖パトリック勲章を授与された[2]。
1874年8月19日から1895年10月23日までウォーターフォード統監を務めた[3]。その後、1879年にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命され[4]、1885年6月27日に連合王国枢密院の枢密顧問官に任命され[5]、同日にバックハウンド管理長官にも任命された[6]。以降1886年2月17日まで同職を務めた[7]。
1876年時点でウォーターフォード県に39,883エーカーの、ウィックロー県に26,035エーカーの、キルケニー県に406エーカーの、キャバン県に305エーカーの、キルデア県に55エーカーの土地を所有し、土地からの年収は32,749ポンドだった[8]。領地の面積は1883年時点でも変わらず、土地からの年収も32,752ポンドとほとんど同じだった[1]。
1883年に狩猟中で事故を起こし、以降その怪我の痛みに長期間苦しんだ[1]。1895年10月23日にカラーモアで拳銃自殺し、息子ヘンリーが爵位を継承した[1]。自殺の理由は「一時的な精神異常」(temporary insanity)とされた[1]。
