ジョン・ベレスフォード (第5代デシーズ男爵)
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第5代デシーズ男爵ジョン・グラハム・ホープ・ド・ラ・プア・ホーズリー=ベレスフォード(John Graham Hope de la Poer Horsley-Beresford, 5th Baron Decies DSO、1866年12月5日 – 1944年1月31日)は、イギリスの軍人、アイルランド貴族。軍人としては1896年の第2次マタベレ戦争で殊勲者公式報告書に記載され、1904年にイギリス領ソマリランドでの戦功により殊功勲章を授与された[1]。政治家としては1912年から1944年までアイルランド貴族代表議員を務めた[2]。
第3代デシーズ男爵ウィリアム・ホーズリー=ベレスフォードと妻キャサリン・アン(1941年2月27日没、ウィリアム・デント・デントの娘)の次男として、1866年12月5日に生まれた[3][4]。イートン・カレッジで教育を受けた後[1]、王立陸軍大学への進学を経て、1887年2月5日に少尉として第7ハザール連隊に配属された[5]。1889年4月10日に中尉[6]、1896年10月7日に大尉に昇進した[7]。
1891年から1892年までマドラス総督の初代コネマラ男爵ロバート・バークのエー=ド=カン(副官)を務めた後、1896年に第2次マタベレ戦争に参戦、殊勲者公式報告書に記載された[1]。1900年1月9日[8]から1901年までアイルランド最高司令官のコノート=ストラサーン公爵アーサーのエー=ド=カンを務めた[1]。1902年2月2日にインペリアル・ヨーマンリー連隊第37大隊の指揮官に任命され、臨時階級として中佐に昇進した[9][10](1903年2月7日に退任[11])。1903年6月26日に少佐に昇進[12]、8月にイギリス領ソマリランド駐在となった[13](1904年まで[1])。ソマリランドでの戦功により殊勲者公式報告書に記載されたほか[1]、1904年9月7日に殊功勲章を授与された[14]。1910年2月10日に軍務から引退したが[15]、1912年1月20日に予備役としてサウス・アイリッシュ・ホースの副隊長(中佐)に任命された[16]。
1910年7月30日に兄ウィリアムが死去すると、デシーズ男爵位を継承した[4]。1912年11月18日にアイルランド貴族代表議員に選出され、1944年に死去するまで務めた[2]。
第一次世界大戦では1915年8月30日にAssistant Adjutant and Quartermaster-Generalに任命され[17]、1916年3月までに退任した[18]。
