ジョン・マカフィー
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ジョン・マカフィー John McAfee | |
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DEF CONにてスピーチを行うマカフィー(2014年8月) | |
| 生誕 |
John David McAfee 1945年9月18日 |
| 死没 |
2021年6月23日(75歳没) |
| 国籍 |
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| 出身校 | ロアノーク・カレッジ |
| 職業 |
ソフトウェア開発者 マカフィー創業者 MGT Capital Investments Inc. CEO |
| 著名な実績 | マカフィー |
| 政党 | リバタリアン党 (2015-) |
| 配偶者 | Janice Dyson (m. 2013) |
| 公式サイト |
www |
ジョン・マカフィー(John McAfee、1945年9月18日 - 2021年6月23日)は、アメリカ合衆国のコンピュータプログラマでマカフィーの創業者。アンチウイルスソフトウェア・デザイン・ウイルススキャナ開発の先駆者。イギリス生まれ。
マカフィーは1945年9月18日、イングランド、グロスタシャーのディーンの森にあるシンダーフォードの米軍基地で[1]、駐留していたアメリカ人兵士の父ドン・マカフィーとアイルランド系イギリス人の母ジョーン・ウィリアムズの間に生まれた[2][3]。父はバージニア州ロアノーク出身で、マカフィーは主にバージニア州セイラムで育ったが、アメリカ人であると同時にイギリス人であると感じていたと語っている[4]。彼は、父親からいつ殴られるかわからないという恐怖の中で幼少期を過ごし、何故このようなことが自分の身に起こるのか理解できずに苦しんだ[5]。15歳のとき、BBCのコラムニストが「DVアル中」と評した父親が銃で自殺した[4]。2022年のドキュメンタリー映画『悪魔のハイウェイ:ジョン・マカフィーの数奇なる人生』では、マカフィーが父親を射殺し、自殺に見せかけたとされている[6]。
1967年にロアノーク・カレッジで数学の学士号を取得し、2008年には名誉博士号を授与された。
1968年から1970年までニューヨークにあるNASAのゴダード宇宙科学研究所にプログラマーとして勤務。その後、UNIVACのソフトウェアデザイナー、ゼロックスのオペレーティングシステムアーキテクトを経て、1978年にコンピュータ・サイエンシズ・コーポレーションへソフトウェアコンサルタントとして入社。のち、ロッキードに勤務していた1980年代、自身のコンピュータがBrainウイルスに感染したのをきっかけにウイルス対策ソフトウェアの開発を始める。
1987年にアンチウイルス会社、McAfee Associates(マカフィーアソシエイツ)を設立。彼はシェアウェアビジネスモデルを用いてアンチウイルスソフトウェアを配布した最初の人物となった[7]。1989年にはロッキードを退職し、カリフォルニア州サンタクララの自宅でマカフィーの経営に専念し、同社をセキュリティ対策のリーディングカンパニーに育てた。1994年に持株を売却して退職した後、インスタントメッセージプログラムの先駆け的存在である[8]PowWow を開発したTribal Voiceなどの創業に関わった。
2009年8月に『ニューヨーク・タイムズ』紙は、ピーク時には1億ドルにまで達した彼の個人資産が、世界金融危機の影響で400万ドルにまで下落したと報じた[9]。
ヨーガのインストラクターでもあり[10]、ヨーガに関する本も数冊執筆している。
2015年9月、次期アメリカ合衆国大統領選挙への出馬計画を公表した[11]。
2019年4月、ビットコインの開発者サトシ・ナカモトの正体を知っていると主張した[12]。
2020年10月6日に、米国での脱税によってスペインで拘束された[13][14]。
2021年6月23日、収監中のスペインの刑務所にて死亡。死因は自殺と見られている[15][16]。米国への移送が決まった直後であった。