ジョン・ロフタス (第2代イーリー侯爵)
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初代イーリー侯爵チャールズ・ロフタスとジェーン・マイヒル(Jane Myhill、1807年2月21日没、ロバート・マイヒルの娘)の息子として、1770年2月15日に生まれた[1]。
1790年の選挙でウェックスフォード選挙区から当選したが、後に当選無効を宣告され、翌年に改めて同選挙区から選出されてアイルランド庶民院議員を務めた[2]。
1793年から1801年までアイルランド財務省出納官(Teller of the Exchequer)を、1800年から1806年までアイルランド下級大蔵卿(Lord of Treasury)を務め、1800年12月23日にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。
1801年にアイルランド王国とグレートブリテン王国が合同してグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立すると、連合王国議会でカウンティ・ウェックスフォード選挙区の代表として庶民院議員を続投、議会ではあまり活動的ではなかったが基本的には首相ヘンリー・アディントンと小ピットを支持した[3]。1806年に初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルが首相に就任すると、ロフタス子爵はアイルランド下級大蔵卿から解任された[3]。直後の1806年3月22日に父が死去すると、イーリー侯爵位を継承、翌1807年11月3日に聖パトリック勲章を授与された[1]。同1807年に第2次ポートランド公爵内閣が成立するとそれを支持した[3]。その後、1809年から1845年までウェックスフォード県総督を、1824年から1845年までウェックスフォード首席治安判事を務め、1810年7月3日にオックスフォード大学よりD.C.L.の名誉学位を授与された[1]。
1845年9月26日に胃病によりファーマナ県のイーリー・ロッジ(Ely Lodge)で死去、息子ジョン・ヘンリーが爵位を継承した[1]。

