ジョージ・カニンガム (第3代カニンガム侯爵)
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第2代カニンガム侯爵フランシス・カニンガムと妻ジェーン(1798年10月13日 – 1876年1月28日、初代アングルシー侯爵ヘンリー・パジェットの娘)の息子として、1825年2月3日に生まれ、ピカデリーのセント・ジェームズ教会で洗礼を受けた[2]。イートン・カレッジで教育を受けた[1]。
1844年12月31日にコルネット(騎兵少尉)への辞令を購入して、イギリス陸軍の第2竜騎兵連隊に入隊[3]、1848年4月28日にライフ・ガーズ第1連隊に転じた[4]。1850年10月19日に中尉[5]、1854年8月4日に大尉[6]、1861年8月24日に中佐(Major and Lieutenant-Colonel)[7]、1866年8月24日に大佐に昇進した[8]。1868年6月13日に半給となった[9]。正規軍のほか民兵隊でも役職を持ち、1859年4月20日に大尉としてロイヤル・イースト・ケント・ヨーマンリー連隊配属されたのち[10]、1862年6月24日に少佐[11]、1863年2月2日に中佐(副隊長および指揮官)に昇進した[12]。
1870年10月16日にヴィクトリア女王のエクェリー(侍従)に任命され[13]、1872年10月1日に辞任し、代わりに定員外の侍従となった[14]。1876年7月17日に父が死去すると、カニンガム侯爵位を継承[2]、1877年7月2日にミンスター男爵として貴族院議員に就任した[15]。政治では自由党に属し、父と同じくアルスター海軍次官を務めた[2]。
1877年10月1日に少将に昇進[16]、1881年10月1日に中将への名誉昇進辞令を得たうえで陸軍から引退した[17]。この名誉昇進辞令は同年のうちに1881年7月1日付に変更された[18]。
1882年時点でアイルランドではドニゴール県に122,300エーカー、クレア県に27,613エーカー、ミーズ県に7,060エーカーの領地を所有し、イングランドではケント州に9,737エーカーの領地を所有した大地主であり、合計で166,710エーカー(年収50,076ポンド相当)だった[1]。
1882年6月2日にベルグレイヴィアのベルグレイヴ・スクエアで死去、ケント州パトリックスボーンで埋葬された[2]。長男ヘンリー・フランシスが爵位を継承した[2]。
