ジョージ・ボイル (第4代グラスゴー伯爵)
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第3代グラスゴー伯爵ジョン・ボイルと妻エリザベス(Elizabeth、旧姓ロス(Ross)、1791年10月17日没、第13代ロス卿ジョージ・ロスの娘)の次男(長男ジョンは夭折)として、1765年9月18日に生まれた[2]。1775年3月7日に父が死去すると、グラスゴー伯爵位を継承した[1]。1776年から1780年までイートン・カレッジで教育を受けた[1]。
1788年5月29日にロンドン考古協会フェローに[4]、1788年6月5日に王立協会フェローに選出された[5]。1817年から1819年までグラスゴー大学総長を務めた[1][2]。
1790年イギリス総選挙でスコットランド貴族代表議員に選出され、1815年までを務めた後[2]、1815年8月11日に連合王国貴族であるレンフルーシャーにおけるホークヘッドのロス男爵に叙された[1][6]。1810年4月11日から1820年初までレンフルーシャー統監を務め、1820年1月7日から1842年8月15日までエアシャー統監を務めた[3]。
貴族院ではトーリー党に属し[1]、1820年にジョージ4世妃キャロライン・オブ・ブランズウィックへの痛みと罰法案に賛成票を投じたほか[7]、1829年に首相の初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーがローマ・カトリック信徒救済法(カトリック解放)の立法に踏み切ったときに法案を支持した[1]。1830年、ロイヤル・ゲルフ勲章グランド・クロスを授与された[1]。その後、1831年10月に第1回選挙法改正の第2次法案に反対票を投じた[8]。