当初はロイヤリストであり、王室検察官として12年間務め、1768年にペンシルベニア植民地議会議員に選ばれた。このころロスの心情が変化し、イギリスの議会と争っている植民地革命議会の強い支持者になった。
安全委員会の委員となり、大陸会議の代表に選ばれた。このときにアメリカ独立宣言に署名した。ペンシルベニア民兵隊の大佐を務め (1775-1776)、ペンシルベニアでは最初の憲法制定会議では副議長を務めた。ロスは健康上の理由で、1777年に大陸会議代表を辞任し、ペンシルベニア海事裁判所判事に指名され、この職を1779年に死ぬまで続けた。