ジョー・マレン
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| ジョー・マレン | |
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2007年 | |
| 本名 | ジョセフ・パトリック・マレン |
| 原語名 | Joseph Patrick Mullen |
| 愛称 | スリッペリー・ロック・ジョー |
| 生誕 |
1957年2月26日(69歳) ニューヨーク州ニューヨーク |
| 身長 | 5 ft 9 in (1.75 m) |
| 体重 | 180 lb (82 kg; 12 st 12 lb) |
| ポジション | 右ウィング |
| ショット | 右打ち |
| 所属したチーム |
セントルイス・ブルース カルガリー・フレームス ピッツバーグ・ペンギンズ ボストン・ブルーインズ |
| 代表 |
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| プロ選手期間 | 1979年 – 1997年 |
| 2000年殿堂入り | |
ジョー・マレン(英語: Joe Mullen, 1957年2月26日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身の元プロアイスホッケー選手。
ナショナルホッケーリーグ(NHL)のセントルイス・ブルース、カルガリー・フレームス、ピッツバーグ・ペンギンズ、ボストン・ブルーインズの4チームで1980年から1997年まで現役生活を続けた。カルガリーでの1989年、ピッツバーグでの1991年、1992年と3回スタンレーカップ優勝を果たした。
弟のブライアン・マレンも元NHL選手で、息子のパトリック・マレンもデンバー大学を卒業後、ロサンゼルス・キングスと契約した。
マンハッタンのヘルズ・キッチンで生まれ育った[1]。1975年に奨学金を手にしてボストンカレッジに入り、1年目は700ドルを自己負担したが、2年目からはフォワードとして活躍するようになり、学費の自己負担は無くなった。1979年アイスホッケー世界選手権のアメリカ合衆国代表に選出された。同大会では8試合に出場し、計7ゴールをあげる活躍を見せた。
1980年のレークプラシッドオリンピックのヘッドコーチ、ハーブ・ブルックスも彼の代表入りを期待していたが、セントルイス・ブルースにドラフト外で入団したため、「氷上の奇跡」と呼ばれる一員にはならなかった。なお、彼が代表入りを断ったのは、父親が病にかかり家族に収入を必要としたためである。
1年目はセントルイス・ブルースのマイナーであるソルトレイクシティ・ゴールデンイーグルスで過ごし、Central Hockey Leagueの新人王に選ばれた。その後1980年のプレーオフの最中、1試合ブルースでプレーした。翌シーズンも大部分をマイナーで過ごしCHLの得点王、オールスターファーストチームに選ばれた。
1981-82シーズンにはブルースで45試合に出場し、59ポイントをあげた。1986年にカルガリー・フレームスに移籍し、1987年と1989年にはレディ・ビング記念賞を受賞した。1989年、1990年にはNHLオールスターゲームへの出場、1989年にはNHLオールファーストチームにも選ばれた。この年、自身初のスタンレーカップ優勝を果たした。1990年に彼は33歳という年齢もあり、ピッツバーグ・ペンギンズにドラフト2巡指名権と引換でトレードされた。彼の存在はペンギンズにとって大きなものとなり、チームは1991年、1992年とスタンレーカップを連覇した。また1994年にはNHLオールスターゲームに再び選ばれた。1995-96シーズンをボストン・ブルーインズで過ごした後、1996-97シーズン、ピッツバーグ・ペンギンズに戻りそのシーズンで現役生活を終えた。
アメリカ合衆国代表としてカナダ・カップに1984年、1987年、1991年と出場、1995年にはアメリカ合衆国のアイスホッケー界への貢献者に与えられるレスター・パトリック賞を受賞した。引退した際、アメリカ人として初の500ゴール(通算502ゴール)、1,000ポイント(通算1,063ポイント)をあげた選手であった。
42歳となった彼は、1999年アイスホッケー世界選手権で1試合だけプレーした。この年、世界選手権に現役NHL選手は出場できなかったが、ニール・ブローテンもこのチームでプレーしている。2000年に彼はホッケーの殿堂、アメリカホッケー殿堂に選ばれた。
ペンギンズのアナウンサー、マイク・ランゲによって、氷上での敏捷さ、強靱さから"スリッペリー"("Slippery Rock Joe")とあだ名を付けられた。このあだ名から、ペンシルベニア州にあるスリッペリーロック大学出身だという誤解も生まれた。