ジローラモ・クレシェンティーニ
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クレシェンティーニはウルバーニアに生まれ、ボローニャでロレンツォ・ジベッリ(イタリア語版、英語版)に学んだ[2]。はじめは女性役としてデビューし、その後に男性主役(プリモ・ウォーモ)として歌うようになった[2]。
1785年にはロンドンで歌ったが不評に終わった[3]。その後はふたたびイタリア各地で歌った。1786年にはミラノのスカラ座、1787年から1789年にかけてナポリのサン・カルロ劇場で歌っている[2]。
ジンガレッリは1793年に『アペッレとカンパスペ』(アペッレ役)、1796年には『ジュリエッタとロメオ(イタリア語版、英語版)』(ロメオ役)をいずれもクレシェンティーニが歌うことを前提として書いた。『ジュリエッタとロメオ』はクレシェンティーニの当たり曲となり[4]、クレシェンティーニはこの作品のためのアリア「Ombra adorata aspetta」を自分で歌うために作曲している[3]。1796年のチマローザ『オラツィオ家とクリアツィオ家(イタリア語版、英語版)』のクリアツィオ役もクレシェンティーニにあてて書かれた[3]。
1797年にウィーン、ついでリスボンで4年間歌った。1804年に再びウィーンで歌って成功した[3]。翌1805年にウィーンに入城したナポレオン・ボナパルトに招かれてクレシェンティーニはパリへ行き、宮廷歌手および皇族の声楽教師をつとめた[2]。ナポレオンはクレシェンティーニを高く評価し、鉄冠勲章(英語版)を授与した[3]。
1809年にケルビーニの『ピンマリオーネ(イタリア語版、英語版)』(有名なルソーのメロドラマ『ピグマリオン』にもとづく)がテュイルリー宮殿で上演された。タイトルロールのピンマリオーネをクレシェンティーニが、ガラテアをナポレオンの愛人でもあったジュゼッピーナ・グラッシーニ(イタリア語版、英語版)が歌った[5]。当時すでにカストラートは急速に衰退しつつあった。ナポレオンは1806年の勅令で去勢を禁じてカストラートを追放した張本人だったが、自分自身はクレシェンティーニに年俸3万フランの高給を与えて召し抱えていた[4]。
1811年にパリ音楽院のための教科書『ヴォカリッツォのための歌唱練習曲集』を出版している[6]。
- Girolamo Crescentini (1811). Raccolta di esercizi per il canto all'uso del vocalizzo con discorso preliminare. Paris. https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9751780n/f7.item
1812年にイタリアへ戻ってからは公開の場で歌うことはなく、音楽教育者として生活した[3]。ボローニャ音楽院(イタリア語版、英語版)を経てナポリ音楽院の声楽教師をつとめ[2]、1846年に没するまでナポリの地にあった[3]。
脚注
- ↑ F. J. Fétis, “CRESCENTINI (Girolamo)”, Biographe universelle des musiciens, 2, Paris, p. 390, https://archive.org/details/biographieuniver02ft/page/390/mode/2up, "Crescentini fut le dernier grand chanteur qu'ait produit l'Italie"
- 1 2 3 4 5 Nicola Lucarelli, “Crescentini, Girolamo (opera)”, Grove Music Online, doi:10.1093/gmo/9781561592630.article.O900913
- 1 2 3 4 5 6 7 Maria Borgato (1984), “CRESCENTINI, Girolamo”, Dizionario Biografico degli Italiani, 30, https://www.treccani.it/enciclopedia/girolamo-crescentini_(Dizionario-Biografico)
- 1 2 水谷彰良『カストラートの衰退とテノールの台頭』2017年(原著1997年)。https://www.akira-rossiniana.org/%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E8%AB%96%E6%96%87-%E8%AB%96%E8%80%83-2/。
- ↑ Pimmalione, Opera Manager, http://www.operamanager.com/cgi-bin/process.cgi?azione=ricerca&tipo=OP&id=10765
- ↑ 水谷彰良『ベルカント教育の歴史と方法論 ─ 16世紀末~19世紀半ばの声楽教育とそのメソッド』。https://www.akira-rossiniana.org/%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E8%AB%96%E6%96%87-%E8%AB%96%E8%80%83-2/。
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