ベオグラードの生まれ。ベオグラード音楽院でステヴァン・フリスティッチとミハイル・ブクドラゴヴィチの薫陶を受けるも、第二次世界大戦の影響で学業に十分に打ち込めぬまま、1940年に卒業している。第二次世界大戦後はプラハに留学してヴァーツラフ・ターリヒの薫陶を受け、1948年に帰国してベオグラード放送のオーケストラで指揮活動を開始した。1951年にクレシミル・バラノヴィッチが首席指揮者を務めるベオグラード・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者陣に加わり、1961年から1978年まで同楽団の首席指揮者を歴任した。
ベオグラードにて没。