ジーン・ミューア (女優)
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ニューヨーク州サファーン生れ。1930年よりブロードウェイの舞台に立つ。1933年にワーナー・ブラザースと契約し、同年『失踪者三万人』で端役デビュー。3本目のポール・ムニ主演『世界は還る』で抜擢され、以後、リチャード・バーセルメス、ジョージ・ブレント、パット・オブライエン、フランチョット・トーンらの相手役をつとめる。1934年の『As the Earth Turns』での演技は批評家にも高く評価され[1]、1935年のマックス・ラインハルト、ウィリアム・ディターレ監督の大作『真夏の夜の夢』では、ヘレナを好演した。
だが、企画への不満から1937年にハリウッドを去り、ロンドンでJ・B・プリーストリー原作の舞台『People at Sea』、映画『Jane Steps Out』に主演した後ブロードウェイに復帰した[1]。その後も映画出演は断続的に続け、1943年の『永遠の処女』では主演のジョーン・フォンテインの姉を演じた。また、彼女は『風と共に去りぬ』のメラニー役の候補の一人でもあった[2]。
1950年、ミューアは人気ラジオドラマ『アルドリッチ・ファミリー』 (en:The Aldrich Family) のテレビドラマ版で、メインキャストのアルドリッチ夫人を演じることとなったが、同年6月に出版された「レッド・チャンネル」に、ハリウッド・ブラックリストの一人として彼女の名前が掲載されたことから、一方的に契約を破棄された。ミューアは自身がコミュニストであることを強く否定したが、結局決定は覆らず、以後女優としての活動機会を完全に奪われることとなった。1950年代半ばの彼女は、アルコール中毒に苦しみ、さらに肝硬変を患っていたという[1]。
1960年代初めに健康を回復して女優業に復帰。以後、多くの舞台やテレビドラマに出演した。1968年にミズーリ州コロンビアに移り、同地のスティーブン・カレッジで演劇を教えた。
ハリウッド大通り6280番地のハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星をもつ[3]。