スコット・パラジンスキー

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生誕 スコット・エドワード・パラジンスキー(Scott Edward Parazynski)
(1961-07-28) 1961年7月28日(64歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国アーカンソー州リトルロック
宇宙滞在期間 57日15時間34分
選抜試験 NASA第14次宇宙飛行士候補生(1992年)
宇宙遊泳回数 7
スコット・パラジンスキー
(Scott Parazynski)
2008年撮影
NASA宇宙飛行士
生誕 スコット・エドワード・パラジンスキー(Scott Edward Parazynski)
(1961-07-28) 1961年7月28日(64歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国アーカンソー州リトルロック
宇宙滞在期間 57日15時間34分
選抜試験 NASA第14次宇宙飛行士候補生(1992年)
宇宙遊泳回数 7
宇宙遊泳時間 47時間5分
ミッション STS-66
STS-86
STS-95
STS-100
STS-120
記章
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スコット・パラジンスキー(Scott Parazynski、1961年7月28日 - )は、アメリカ合衆国の医師・元NASA宇宙飛行士登山家探検家である。2009年には、宇宙飛行士として初めてエベレスト登頂を達成した[1]

5回のスペースシャトル飛行を経験し、7回の船外活動を含む1,381時間以上の宇宙滞在を記録した。商業・マルチエンジン式水上機・計器飛行の操縦資格を有するパイロットで、総飛行時間は2,500時間以上に及ぶ[1]

1961年、アーカンソー州リトルロックに生まれる[1]

セネガルレバノンイランギリシャの中学校や高校に通い、1979年にアテネのアメリカン・コミュニティ・スクールを卒業した。その後、スタンフォード大学に進学し、1983年に生物学の学士号を取得、1989年には同大学の医学部を卒業した。翌年にはブリガム・アンド・ウィメンズ病院にてインターンを修了した[1]

医学部在学中からNASAとの関わりがあり、NASAエイムズ研究センターで宇宙飛行中の体液移動に関する研究を行っていた。また、1988年のオリンピック選考会ではリュージュの全米トップ10に入るほどのアスリートでもあり、同年のカルガリーオリンピックではフィリピンチームのコーチも務めた[2]

救急医学の研修医として勤務中の1992年3月に宇宙飛行士として選出され、同年8月にジョンソン宇宙センターに配属された[1]

NASA第14次宇宙飛行士候補生(1992年)。中列左がスコット・パラジンスキー。前列左から2人目は若田光一

1994年から2007年にかけて、計5回のスペースシャトル・ミッション(STS-66, STS-86, STS-95, STS-100, STS-120)に従事した[1]

1998年10月〜11月のスペースシャトル「ディスカバリー号」には向井千秋と共に搭乗した。

ディスカバリー号に乗る7人の乗組員が、ジョンソン宇宙センターでの訓練に参加。写真は右がスコット・パラジンスキー、左から2人目は向井千秋。

EVA(船外活動)分野の責任者、ISS訓練部門副部長、EVA部門長などを歴任。コロンビア号事故後は、耐熱防護システム点検・修復の責任者を務めた[1]

2009年3月、NASAを退職[1]

人物

身長188cm[3]

妻と2人の子どもがいる[1]

登山、ロッククライミング、飛行、スキューバダイビング、スキー、旅行、木工、自然写真撮影などの趣味を持つ[1]

登山家として、アラスカ山脈カスケード山脈ロッキー山脈アンデス山脈ヒマラヤ山脈の主要峰に登頂。登頂実績にはアコンカグアやコロラド州の14,000フィート峰59座すべてが含まれる[1]

2008年、背中の負傷によりエベレスト登頂に失敗するも、翌2009年5月20日、再挑戦に成功し、宇宙飛行士として史上初のエベレスト登頂者となった[1][4]。登頂時には、アポロ11号の乗組員が収集した小さな月の石を持参した[5]

著書

外部リンク

脚注

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