スコット・マギー

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リングネーム スコット・マギー
パット・マギー
スコット・シャノン
ゲーリー・ポーツ
本名 ガーフィールド・ポーツ
(ゲーリー・ポーツ)
身長 185cm[1]
体重 110kg(全盛時)[1]
スコット・マギー
スコット・マギーの画像
1983年
プロフィール
リングネーム スコット・マギー
パット・マギー
スコット・シャノン
ゲーリー・ポーツ
本名 ガーフィールド・ポーツ
(ゲーリー・ポーツ)
身長 185cm[1]
体重 110kg(全盛時)[1]
誕生日 (1957-05-01) 1957年5月1日(68歳)[2]
出身地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
ウェスト・ヨークシャー州
ブラッドフォード[3]
トレーナー ジェフ・ポーツ
カール・ゴッチ[1][3]
バディ・ロジャース[3]
リック・フレアー[3]
リッキー・スティムボート[3]
デビュー 1979年[3]
引退 1988年[4]
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スコット・マギーScott McGhee、本名:Garfield "Gary" Portz1957年5月1日[2] - )は、アメリカ合衆国で活動したイギリス人プロレスラーイングランドウェスト・ヨークシャー州ブラッドフォード出身[3]

ランカシャー・レスリングの名手として知られたジェフ・ポーツの実子であり、父同様に技巧派のベビーフェイスとして、NWAフロリダ地区などを主戦場に活躍した[1][4]

父のジェフ・ポーツと共にアメリカへ移住後、1970年代末にジム・クロケット・プロモーションズにてレフェリーを経てデビュー(渡米前にイギリスでデビューしていたともされる[1])。

1980年より、父親の主戦場でもあったフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に活動拠点を移し、イワン・コロフニコライ・ボルコフミスター・サイトーディック・スレーターボビー・ジャガーズR・T・タイラーロード・アルフレッド・ヘイズハンス・シュローダーヒール勢と対戦。10月18日にはバリー・ウインダムとのコンビでNWAフロリダ・タッグ王座を獲得した[5]。同年はレス・ソントンNWA世界ジュニアヘビー級王座に再三挑戦し[6]、11月17日にはウェストパームビーチにてハーリー・レイスNWA世界ヘビー級王座にも挑戦している[7]

1982年6月、新日本プロレスの『サマー・ファイト・シリーズ第1弾』に初来日。開幕戦の6月18日、蔵前国技館大会でのメインイベントにて、右膝の負傷で長期欠場を続けていたアントニオ猪木の復帰第1戦の相手を務めた[1]。7月2日の北海道旭川大会ではアンドレ・ザ・ジャイアントのタッグパートナーに起用され、ハルク・ホーガン&坂口征二の日米スーパーヘビー級コンビと対戦している[8]

その後もNWAの主要テリトリーで活動し、フロリダでは1983年テリー・アレンマイク・グラハムと組んで活躍。ファビュラス・カンガルーズドン・ケント&ジョニー・ヘファーナン)、ボビー・ダンカン&アンジェロ・モスカイライジャ・アキーム&カリーム・モハメッドなどのチームを相手にNWAグローバル・タッグ王座を争った[9]。同年11月24日にはジム・クロケット・プロモーションズが開催した『スターケード』の第1回大会にも出場、ジョニー・ウィーバーをパートナーにケビン・サリバン&マーク・ルーインと対戦した[10]。同年は太平洋岸北西部にも参戦し、12月24日にカート・ヘニングと組んでダイナマイト・キッド&ジ・アサシンからNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取している[11]

1984年テネシー州メンフィスCWAにてスパイク・ヒューバーとのタッグなどで活動[12]。本拠地のフロリダでは、7月29日にスーパースター・ビリー・グラハムを破りNWAフロリダ・ヘビー級王座を獲得[13]、9月から10月にかけてはリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦した[14]。翌11月、カール・ゴッチのブッキングでUWFに来日、前田日明スーパー・タイガーとシングルマッチで対戦した[15]

UWFへの再来日から帰米後の1985年9月、前年より全米侵攻を展開していたWWFに登場。10月1日のニューヨーク州ポキプシーでのTVテーピングではポール・ローマをパートナーに、グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキのドリーム・チームが保持していたWWF世界タッグ王座に挑戦[16]。以降、1987年初頭にかけてWWFの全米サーキットに参加し、ランディ・サベージテリー・ファンクカウボーイ・ボブ・オートンアドリアン・アドニスキングコング・バンディジェイク・ロバーツハーキュリーズホンキー・トンク・マンハート・ファウンデーションカマラディノ・ブラボーなど、ヒールのスーパースターのジョバーを務めた(レネ・グレイタイガー・チャン・リーフレンチ・マーチンテリー・ギッブススティーブ・ロンバルディなど、ヒール陣営のジョバーからは勝利を収めている)[17][18]

WWF離脱後はカルガリースタンピード・レスリングにて、本名のガーフィールド・ポーツ名義で活動。ヒールのポジションに回ってジェリー・モローやガマ・シンと外国人ユニットを組み、オーエン・ハートブライアン・ピルマンジョニー・スミスミスター・ヒトクリス・ベノワフィル・ラフルールらと対戦した[19]

カルガリー滞在中の1988年1月31日、脳卒中を起こして引退[4]。回復後は看護師となって医療機関に勤務している[4]

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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