スタニスワフ・スロコフスキ
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スタニスワフ・スロコフスキ(ポーランド語: Stanisław Józef Srokowski、1872年 - 1950年) はポーランドの地理学者で外交官。
スロコフスキは、1920年にポーランドの外交団に加わり、オデッサ(当時はソ連領、現在はウクライナ領)とケーニヒスベルク(当時はドイツ領、現在はロシア領のカリーニングラード)の領事となった。1923年から1924年にかけて、当時のポーランド東部のヴォルィーニ県(後にソ連領となり、現在はウクライナ領)の知事を務めた後、1926年に、当時トルンにあったバルト研究所の所長となった。
第二次世界大戦が始まる前には、ワルシャワ大学の教授でもあり、ポーランド地理学協会の会長も務めた。
1946年から亡くなる1950年まで、戦後ポーランド領となった旧ドイツ東部領土(回復領)の町村名などの地名を決定する、地名決定委員会(Komisja Ustalania Nazw Miejscowości)の委員長を務めた。
スロコフスキの死後、彼を顕彰して、「Dryfort」に改名予定だった「Drengfurt」という村が、予定を変更して「スロコヴォ」(pl:Srokowo、en:Srokowo)と改名された[1]。