スチュアート・M・カミンスキー
From Wikipedia, the free encyclopedia
| スチュアート・M・カミンスキー (Stuart M. Kaminsky) | |
|---|---|
| 誕生 |
1934年9月29日 |
| 死没 |
2009年10月9日(75歳没) |
| 職業 | 作家 |
| 言語 | 英語 |
| 国籍 |
|
| 最終学歴 |
イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 ノースウェスタン大学 |
| 活動期間 | 1977年 - 2009年 |
| ジャンル | ミステリ |
| 主題 | 映画に関わる人物の評伝 |
| 主な受賞歴 |
エドガー賞 長編賞 1989年 ツンドラの殺意 |
| デビュー作 | 『ロビン・フッドに鉛の玉を』 |
スチュアート・M・カミンスキー(Stuart M. Kaminsky、1934年9月29日[1] - 2009年10月9日[2])は、アメリカ合衆国の推理作家、映画の教授、映画脚本家。
主な代表作は3シリーズあり、1940年代のハリウッドを舞台に私立探偵のトビー・ピータースが活躍するシリーズ、モスクワ警察の捜査官ポルフィーリ・ロストニコフが主人公のシリーズ、シカゴの警察官エイブ・リーバーマンが主人公のシリーズである。後年の作品に、フロリダ州サラソータの訴訟状配達人ルー・フォネスカが主人公のシリーズがある。
ロストニコフ・シリーズ『ツンドラの殺意』(原題:A Cold Red Sunrise )で、1989年にエドガー賞 長編賞を受賞。エドガー賞には6回ノミネートされた。直近では2005年にノンフィクション作品"Behind the Mystery: Top Mystery Writers Interviewed" でアンソニー賞、マカヴィティ賞、アガサ賞にノミネートされた。2006年、アメリカ探偵作家クラブより巨匠賞を授与される[3]。
イリノイ州シカゴで育ち[4]、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校でジャーナリズムの学士と英語の修士号を、ノースウェスタン大学でスピーチの博士号を取得した。ノースウェスタン大学で約16年間、フロリダ州立大学で約6年間映画の教鞭を取った[5]。
処女作は1977年に出版されたハリウッドを舞台にしたミステリ長編『ロビン・フッドに鉛の玉を』(原題:Bullet for a Star )で、以後60作の小説や短編集、ノンフィクション作品を執筆した。アメリカ探偵作家クラブの会長を務めたこともある。
同郷(シカゴ出身)のサラ・パレツキーは多作のカミンスキーにインスパイアされ、「V・I・ウォーショースキー」シリーズを執筆した[4]。
1950年代後半にフランスで衛生兵として働いていた時に肝炎に罹る。2009年3月、治療と肝臓移植の順番待ちのためにミズーリ州セントルイスへ妻と共に引っ越す。現地到着から2日後に脳梗塞になり、移植不適格と診断され、同年10月9日に亡くなった[6]。