ステーファノはマッテーオ1世・ヴィスコンティの息子である。
1318年、ステーファノはベルナボ・ドーリアとエリアナ・フィエスキの娘ヴァレンティーナと結婚した。2人の間には3子が生まれた。
3人の息子は、伯父ルキーノの死後ミラノを共同統治した。
跪くステーファノ・ヴィスコンティ(墓石の一部)
ステーファノは1327年7月4日の夜、イタリア王として戴冠したばかりのルートヴィヒ4世・フォン・バイエルンとの晩餐会の後に死去した。
同時代の人々は、ステーファノの兄ガレアッツォ1世、ジョヴァンニ、ルキーノおよび甥アッツォーネがモンツァの要塞に投獄されることとなったルートヴィヒ4世の暗殺未遂とステーファノの死に関連があると考えた。この事件は、神聖ローマ帝国とヴィスコンティ家の関係の悪化を意味した。
ステーファノと妻ヴァレンティーナの壮大な墓は、1359年にボニーノ・ダ・カンピオーネにより制作され、ミラノのサンテウストルジョ聖堂に安置されている。