ストリーツ海飛
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| 基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 |
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| 誕生日 | 1994年6月6日(31歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 出身地 | 神奈川県横浜市青葉区 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 身長 | 175cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 77kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ストリーツ海飛 | |
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| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | 2021年 - |
| ジャンル | エンターテインメント |
| 登録者数 | 1,360人 |
| 総再生回数 | 123,855 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2022/11/04時点。 | |
ストリーツ海飛(ストリーツかいと1994年6月6日生 )は日本のフェンシング選手。
コアスタッフ(CORE STAFF)株式会社所属。競技種目はサーブル[1][2][3]。右利き。2021年開催の東京オリンピックフェンシングに男子サーブル個人、団体ともに出場した。[4][5]
神奈川県横浜市青葉区に父がイギリス系アメリカ人、母が日本人で、3歳年上の兄の下に次男として生まれる。兄の名前は【天翔/てんしょう】、弟の名前は【海飛/かいと〕〔天を翔け、海を飛び、世界で活躍できる兄弟に〕と願いを込めて名付けられた。[6]7歳で家族とともにアメリカ、カリフォルニア州に引っ越す。小学校から18歳の高校卒業まで、シリコンバレー地域で育つ。英語がネイティブであり、日米語バイリンガルでもある。8歳でフェンシングを始め、15歳からアメリカ代表選手として世界大会に出場する。大学は東海岸のペンシルバニア州立大学に進学、経営学部ビジネス学科を卒業。その後、東京オリンピックを日本人として出場したいと考え、出生の日米二重国籍から日本国籍を選択、2016年からは日本代表選手として世界大会に出場を始めた。大学卒業後、2018年に日本へ帰国。フェンシング日本代表として、2021年東京オリンピックに個人・団体戦に出場。2028年LAオリンピックを次の目標に掲げている。 日米ハーフのアスリートとしてメディア露出も多数あり、フジテレビのジャンクSPORTS [7] 、TBS【THE TIME,】等にも出演、TBS【SASUKE】には五輪アスリートとして2021年、2022年連続出場した。
経歴
横浜市青葉区で 7歳まで育つ。2001年横浜市の小学校1年生の夏休みに父方の祖父母の家のある米国カリフォルニア州に引っ越す。3歳の兄と一緒に野球、バスケットボール等をしていたが、兄に負けない違うスポーツをしたいと思い、8歳で地元にあったクラブでフェンシングを始める。翌年、9歳で 10歳以下の全米チャンピオンとなり、14歳以下の部で全米ランキング1位を獲るなどした。15歳からはカデ米国代表として世界大会に出場を始める。16歳で全米ジュニア選手権優勝(17歳から20歳の部)をする。ジュニア米国代表選手に選ばれ、世界大会に出場していた。2012年ペンシルバニア州立大学へ進学。2014年19歳、大学2年生で全米大学生選手権(NCAA)サーブル個人チャンピオンとなり、同時にキャプテンを務めたチームでサーブル団体優勝も勝ち取る。それが大学の総合優勝にも繋がり、最優秀名誉大学生の表彰を受ける。16歳、19歳の10代の世代別で全米選手権優勝2回の成績を残した。2014年の全米大学生選手権優勝時、半年前に東京オリンピックが決まっていた。日本人の母から「日本人として東京オリンピックをめざしてほしい」と云われ、出生の日米2重国籍から日本国籍を選択し、日本人選手として東京五輪をめざすことを決意する。[8]
14歳の時、2008年鹿児島の母方の祖父母宅に帰省していた際、北京オリンピックでの太田雄貴選手(元日本フェンシング協会会長)の銀メダル獲得をテレビで観戦し、五輪へのあこがれを強く持ったことも大きかった。2016年大学卒業後、2018年日本定住帰国。 既に2016年から五輪フェンシング強化指定選手となり、2025年現在まで世界選手権、アジア選手権等公式国際全大会において日本代表選手として出場している(男子サーブルチームキャプテン)。 2017年、2019年、2022年の全日本選手権で3度の優勝、2018年、2023年準優勝を果たすなど成果も続けている。2017年世界ユニバーシアード大会では、日本代表選手として 10位。2016年アジア選手権個人 10位、2019年アジア選手権個人9位、団体銅メダル。2021年 東京五輪にフェンシングサーブル個人/団体ともに出場。 2021年東京選手権優勝、2022年アジア選手権個人6位、団体2位。 チームアンカーとして、強敵イランに逆転勝ちをし、念願の銀メダルを獲った。[9]2022年11月5日フェンシング全日本選手権サーブルで3度目の優勝をした。[10][11][12][13]2024年のパリ五輪は惜しくも出場を逃したが、2024年12月フランスグランプリ大会個人7位、2025年6月アジア選手権個人3位銅メダル、団体金メダル、7月世界選手権団体4位、11月アルジェリアワールドカップで団体で銅メダルを獲得し、次の2028年ロス五輪メダルへの地固めを確実に上昇させている。