ストレミーテリヌイ (駆逐艦・2代)
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| ストレミーテリヌイ | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 建造所 | レニングラードの造船所 |
| 運用者 |
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| 艦種 | 駆逐艦 |
| 級名 | グネフヌイ級駆逐艦 |
| 艦歴 | |
| 起工 | 1936年8月22日 |
| 進水 | 1937年2月4日 |
| 就役 | 1938年11月18日 |
| その後 | 1941年7月20日爆撃により沈没 |
| 要目 | |
| 排水量 | 1,612トン |
| 全長 | 370ft 1in(112.8m) |
| 最大幅 | 33ft 6in(10.2m) |
| 吃水 | 15ft 9in(4.8m) |
| 機関 | 蒸気タービン 2基 |
| 推進 | スクリュープロペラ 2軸 |
| 最大速力 | 38ノット(70km/h) |
| 乗員 | 236名 |
| 兵装 |
130mm単装砲 4門 76.2mm対空機関砲 2門 45mm対空機関砲 2門 12.7mm対空機関銃 2門 21インチ3連装魚雷発射管2門 爆雷25発 |
ストレミーテリヌイ (ロシア語:Стремительный「永久」の意)は、1930年代後半に建造されたソ連海軍のグネフヌイ級駆逐艦。
1938年に完成したこの艦はバルチック艦隊に所属したが、1940年半ばに北方艦隊に配備された。1941年6月にドイツ軍のソ連侵攻バルバロッサ作戦が開始されると、北極圏沿岸への上陸作戦に従事した。7月にポリャールヌイでドイツの爆撃機によって撃沈され、乗組員および民間人の111名が亡くなった。翌年、ストレミーテリヌイの残骸の一部が回収された。
レニングラードの造船所189号にて1936年8月22日に起工、1937年2月4日に進水、1938年11月18日に就役し[1]、 11月29日にバルチック艦隊所属となった[2]。この船は、1939年12月1日に同型艦スメトリヴィと軽巡洋艦キーロフ[3]とともにルッサロー島の沿岸砲を攻撃したほか、冬戦争中は哨戒と護衛の任務に従事していた。1940年5月9日にストレミーテリヌイは北方艦隊に移された[2]。
1941年6月22日にドイツのソ連侵攻であるバルバロッサ作戦が始まったとき、ストレミーテリヌイはポリャールヌイを母港としていた。7月14日の白金狐作戦にて、同型艦グロームキイおよびグレミャーシチイとともに、ザパドナヤ・リツァ川の河口西側に上陸した部隊を援護した[4]。6日後、ストレミーテリヌイはポリャールヌイに係留されている間にドイツの爆撃機Ju 87に攻撃され、船体の中央へ4つの爆弾が投下された。命中した爆弾はボイラー室と機関室で爆発し、それらの区画にいた乗組員は全員戦死した。船体は半分に割れ、船尾は数分で沈没、船首も20分で沈んだ。爆撃を受けた際、船内で演技をしていた数人の芸人を含む合計111名が死亡した[5]。 ストレミーテリヌイの残骸は1942年4月に一部が回収され、船尾は同型艦ラズームヌイを修理するために使用された[2]。