ストーン・ゴッサード
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ストーン・ゴッサード Stone Gossard | |
|---|---|
|
パール・ジャムのライヴにて(2007年8月) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Stone Carpenter Gossard |
| 生誕 | 1966年7月20日(59歳) |
| 出身地 |
|
| ジャンル | オルタナティヴ・ロック、ハードロック、グランジ、パンク・ロック、ヘヴィメタル |
| 職業 | ミュージシャン、ソングライター、音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | ギター、ボーカル、ベース、ピアノ、ドラムス、パーカッション、チェロ |
| 活動期間 | 1984年 - |
| レーベル | モンキーレンチ、ホームステッド、サブ・ポップ、スタードッグ、マーキュリー、A&M、エピック、SME、レッドライン、J、C/Z、グリッターハウス、ライヴワイアー |
| 共同作業者 | パール・ジャム、グリーン・リヴァー、ブラッド、マザー・ラヴ・ボーン、テンプル・オブ・ザ・ドッグ |
| 著名使用楽器 | |
|
フェンダー・ストラトキャスター フェンダー・テレキャスター ギブソン・レスポール | |
ストーン・カーペンター・ゴッサード(Stone Carpenter Gossard, 1966年7月20日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。ロックバンド、パール・ジャムのリズムギタリストとして最もよく知られ、それ以前にもグリーン・リヴァーやマザー・ラヴ・ボーンで活動していた。他にもテンプル・オブ・ザ・ドッグやブラッドでの活動で知られる。
グリーン・リヴァー
1984年、後にパール・ジャムのベーシストとなるジェフ・アメン、マッドハニーのフロントマンとなるマーク・アームらと共にグリーン・リヴァーを結成する。翌1985年5月にホームステッド・レコードよりEP『Come on Down』でデビューし、1987年7月にサブ・ポップからの初リリースとなるEP『Dry as a Bone』をリリースした[1]。1988年6月に唯一のフルアルバム『Rehab Doll』をリリースするが同年にメンバー間の対立により解散。
マザー・ラヴ・ボーン
グリーン・リヴァー解散後にゴッサードはアメンと共にマザー・ラヴ・ボーンを結成。フロントマンはマルファンクションのメンバーだったアンドリュー・ウッドが務めた。結成からすぐにバンドはレコーディングとライヴを開始し、1989年始めにポリグラムと契約し、3月にEP『Shine』でデビュー。1stアルバムを1990年3月にリリース予定だったが、3月にウッドがヘロインのオーバードーズにより死去し、バンドは解散。ウッドの死後4ヵ月後に唯一のアルバム『アップル』がリリースされた。
テンプル・オブ・ザ・ドッグ
マザー・ラヴ・ボーン解散後の同年、子供の頃からの幼馴染であり、後のパール・ジャムのリードギタリストとなるマイク・マクレディを誘いテンプル・オブ・ザ・ドッグを結成。このバンドはアンドリュー・ウッドを追悼するために結成され、同バンドにはグリーン・リヴァー時代からのバンドメイトであるジェフ・アメン、ウッドのルームメイトであったサウンドガーデンのクリス・コーネルが加入。その後パール・ジャムのドラマーとなるマット・キャメロンも加入し、バンドはコーネルがウッドの生前に書いた楽曲やゴッサードとアメンが以前に作成したデモ曲のリハーサルを開始する[2]。またオーディションによりパール・ジャムのフロントマンとなるエディ・ヴェダーも、コーネルとのデュエットやバックコーラス等で参加した。1991年4月に唯一のアルバム『テンプル・オブ・ザ・ドッグ』をA&Mレコードよりリリース。
パール・ジャム
パール・ジャムは1990年にアメン、ゴッサード、マクレディで結成され[3]、後にボーカリストのヴェダーとドラマーのデイヴ・クルーセンも加入。1991年にエピック・レコードと契約し、デビューアルバム『ten』をリリースした。バンドは1990年代初頭のグランジ・ブームに乗り爆発的な人気を得、現在も活動を行っている。
