ストーン・ゴッサード

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ストーン・カーペンター・ゴッサード(Stone Carpenter Gossard, 1966年7月20日 - )は、アメリカ合衆国ミュージシャンシンガーソングライター音楽プロデューサーロックバンドパール・ジャムリズムギタリストとして最もよく知られ、それ以前にもグリーン・リヴァーマザー・ラヴ・ボーンで活動していた。他にもテンプル・オブ・ザ・ドッグブラッドでの活動で知られる。

グリーン・リヴァー

1984年、後にパール・ジャムベーシストとなるジェフ・アメンマッドハニーのフロントマンとなるマーク・アームらと共にグリーン・リヴァーを結成する。翌1985年5月にホームステッド・レコードよりEP『Come on Down』でデビューし、1987年7月にサブ・ポップからの初リリースとなるEP『Dry as a Bone』をリリースした[1]。1988年6月に唯一のフルアルバム『Rehab Doll』をリリースするが同年にメンバー間の対立により解散。

マザー・ラヴ・ボーン

グリーン・リヴァー解散後にゴッサードはアメンと共にマザー・ラヴ・ボーンを結成。フロントマンはマルファンクションのメンバーだったアンドリュー・ウッドが務めた。結成からすぐにバンドはレコーディングとライヴを開始し、1989年始めにポリグラムと契約し、3月にEP『Shine』でデビュー。1stアルバムを1990年3月にリリース予定だったが、3月にウッドがヘロインオーバードーズにより死去し、バンドは解散。ウッドの死後4ヵ月後に唯一のアルバム『アップル』がリリースされた。

テンプル・オブ・ザ・ドッグ

マザー・ラヴ・ボーン解散後の同年、子供の頃からの幼馴染であり、後のパール・ジャムリードギタリストとなるマイク・マクレディを誘いテンプル・オブ・ザ・ドッグを結成。このバンドはアンドリュー・ウッドを追悼するために結成され、同バンドにはグリーン・リヴァー時代からのバンドメイトであるジェフ・アメン、ウッドのルームメイトであったサウンドガーデンクリス・コーネルが加入。その後パール・ジャムのドラマーとなるマット・キャメロンも加入し、バンドはコーネルがウッドの生前に書いた楽曲やゴッサードとアメンが以前に作成したデモ曲のリハーサルを開始する[2]。またオーディションによりパール・ジャムのフロントマンとなるエディ・ヴェダーも、コーネルとのデュエットやバックコーラス等で参加した。1991年4月に唯一のアルバム『テンプル・オブ・ザ・ドッグ』をA&Mレコードよりリリース。

パール・ジャム

パール・ジャムは1990年にアメン、ゴッサード、マクレディで結成され[3]、後にボーカリストのヴェダーとドラマーのデイヴ・クルーセンも加入。1991年にエピック・レコードと契約し、デビューアルバム『ten』をリリースした。バンドは1990年代初頭のグランジ・ブームに乗り爆発的な人気を得、現在も活動を行っている。

パール・ジャム以降の活動

脚注

外部リンク

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