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スパルタ教育

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スパルタ教育(スパルタきょういく、Spartan Education)は、本来は古代ギリシアのポリス・スパルタにおいて行われていた国家主導の教育制度を指す語であるが、日本においては1969年以降、石原慎太郎の著書の影響で、厳格で過酷な訓練や、強い規律を伴う教育・しつけ一般を指す通俗的表現として用いられることが多い。

石原慎太郎のベストセラー本による用語の意味変化

日本において「スパルタ教育」という語は当初、古代ギリシアのスパルタにおける教育制度を指す学術用語として導入された。明治期以降、西洋古典学や教育史研究を通じて、スパルタ教育は国家による公教育制度、集団規律の重視、個人よりもポリスを優先する教育思想として紹介されていた[1]。

しかし、戦後日本においてこの語は変容した。特に1969年に刊行された石原慎太郎の著書『スパルタ教育:強い子どもに育てる本』が70万部のベストセラーとなって広く読まれたことを契機に、厳格なしつけ、過酷な訓練、忍耐や服従を重視する教育一般を指す通俗的表現として用いられるようになった[1]と指摘されている。

書名が示す通り「スパルタ的な教育観」を中心に展開された内容で、当時としては挑発的・物議を醸す教育論として受け取られた[1]。

  • 子どもをなぐることを恐れるな
  • 不良性の芽をつむな
  • いじめっ子に育てよ
  • 先生をむやみに敬わせるな
  • 転校したときに、まわりに同化することを教えるな

といった強い表現が並び、単なる体育訓練ではなく、子育て・しつけにおける体罰容認あるいは困難な子の育成論として読まれた[1]。

後日談として、石原慎太郎に取材した吉田豪によると「石原さん曰く『俺、そう書いたかもしれないけど、俺はあんまり殴ったことないんだよ』って言い出して…」など実子4人への教育法は異なっていたことが判明している[2]

この過程で「スパルタ教育」という語は、戦前・戦中の軍国主義的教育や規律訓練のイメージと結び付けられる。これに応じて、教育学者が旧軍隊式教育の復活の兆しに危惧を表明するなどを経て、「スパルタ教育」が体罰的指導や精神主義的教育(根性論)を象徴する言葉として日本に定着した。鈴木円は、このような用法が広がった結果、古代スパルタの教育制度が持っていた歴史的・理論的文脈は十分に理解されないまま、語のみが独立して流通する状況が生じたと論じている[1]。

このように、戦後日本における「スパルタ教育」は、戦前の教育観や戦後社会における規律・忍耐の価値観と結び付いて形成された、日本独自の通俗概念である[1]とする見解が示されている。

スパルタ教育(本来の意味)

本来のスパルタ教育は、古代ギリシアのポリス・スパルタにおいて行われていたとされる教育制度である。古代ギリシア語ではアゴーゲー(アゴゲ、古希: ἀγωγή)と呼ばれ、主に市民男性を軍事的・社会的に養成することを目的とした国家主導の公教育制度であった[3]。

定義と特徴

スパルタ教育は、極めて厳格な規律と集団生活を特徴とし、身体的訓練のみならず、服従、忍耐、共同体への忠誠心の涵養を重視した総合的な社会教育であったとされる。軍事訓練に加え、歌唱、舞踊、狩猟なども教育内容に含まれていたと伝えられている。

原語の「アゴーゲー」は様々な意味を持ち、その中には「押収」「誘拐」といったものも含まれるが、文献の文脈から判断すると「指導」「訓練」と解釈される[4]。

概要

古代スパルタでは、兵力維持と国家存続の観点から、子どもは個人や家族の私有物ではなく、国家に属する存在とみなされていたとされる。この点で、自由教育や芸術・弁論を重視したアテナイの教育とは対照的である。

スパルタ教育の具体的内容は、主にプルタルコス『英雄伝』(対比列伝)およびクセノポン『ラケダイモン人の国制』などの古代文献によって伝えられている。立法者リュクルゴスによって制度化されたと説明されている。

男子教育

生まれた子どもは、長老による身体検査を受け、「健康で強健」と判断された場合にのみ養育が許されたと伝えられる。虚弱と見なされた子どもは、タイゲトス山のアポテタイと呼ばれる場所に遺棄されたという記述もあるが、これについては史実性をめぐり議論がある[3]。

スパルタでは親は子の成長への関与を制限され、男子は7歳になると家族のもとを離れた。軍営に似た集団生活に入り、年齢ごとに編成された組の中で同一の規律の下に生活と訓練を行った[3]。監督は少年監督官(パイドノモス)が務め、不在時には居合わせた市民や、最も優秀な少年が指揮権を持つことがあったとされる。

訓練は質素な生活を徹底させるもので、頭は丸刈りにされ、裸足で行動し、衣服や沐浴も制限された。クセノポンは「スパルタが裸足で訓練を行う目的は『登り坂ははるかに容易に越えることができ、下り坂はより安全に下ることができ、とりわけ跳ぶこと、はねること、走ることは、より速くできる』とリュクルゴスが考えたため」と述べている[5]。

食事は常に節制され「決して満腹してだるくなることなく、欠乏状態で過ごすことに無経験でない程度」と決められていた。クセノポンは「『このように教育された者たちは、必要とあらば、欠食のまま働き続けられる可能性大であり、下知されれば、同量の食事でより長時間持ちこたえられる可能性も大であり、おかずの必要性は小、いかなる食べ物を前にしてもより平気、しかもより健康に過ごせる』とリュクルゴスが考えたため」と述べている。

必要に応じて盗みも許可された。クセノポンは「明らかに、盗みをしようとする者は、夜も眠ってはならず、日中も、騙したり待ち伏せたりし、さらには探りを入れて、何かを盗まれる相手を物色しなければならない。したがって、明らかに、こういったことすべてにおいて、子どもたちを必需品のよりすぐれた策士にすることを望んで、かくすることによってより戦闘的な者に教育したのである」と述べている。しかし盗みが見つかった場合は鞭打ちなど厳しく処罰され、大いなる謙虚さや従順さを持たされた[5]。

教育は成人後も継続し、20歳になると部下を持ち、戦時には指揮官として行動し、平時においても公的役割を担うことが求められた。

男性は「強い子供が産めそうな女性」が魅力的とみなされ、女性は「戦争に出ても生きて帰って来そうな男性」が魅力的とみなされる傾向が強かった。

妻と同居することを望まない者で、それでも語るに足るほどの子どもは欲しいという者は誰であれ、子宝に恵まれるような生まれよろしき婦人を見つけたら、その夫を説得し、その婦人によって子作りをさせるようにした[5]。

女子教育

スパルタでは女子も例外ではなく、将来「強健な市民を産む母」となることを目的として、幼少期から体育訓練を受けたとされる。この点は他のポリスと大きく異なる特徴である。

女性は比較的高い社会的地位と権利を有しており、結婚や出産に関しても国家的観点から重視された。成人後に結婚相手を選ぶ際、魅力的な女性を複数の男性が取り合うことは頻繁には起こらなかったが、逆に魅力的な男性を、複数の女性が取り合うことなどもあった。

評価と後世の受容

スパルタ教育は、古代においてもプラトンが「兵営のようなもの」と評したと伝えられ、賛否の分かれる制度であった[3]。

後世においては、スポーツや受験における体罰的指導・根性論と結び付けられて、スパルタの厳格さや規律が強調され、「過酷な訓練」「体罰的教育」の象徴として語られることが多いが、これは本来の制度の一側面のみを抽出した理解である[3]と指摘されている。

関連作品

脚注

関連項目

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