犠牲者を追悼した墓碑
事故後50周年を記念して作られたもの
この時のACトリノのメンバーの大半はイタリア代表にも名を連ねる選手達であり、彼らを失ったことはイタリアサッカー界全体にとって大きな損失であった。葬儀はイギリス人監督のレスリー・リーブスリー(英語版)と、元監督で当時テクニカル・ディレクターを務めていたユダヤ系ハンガリー人のエグリ・エルブステイン(英語版)を含む、クラブの犠牲者全員を悼む国葬として執り行われた。
優勝目前でトップチームを丸ごと失ったACトリノは、リーグ戦の残りの4試合をユースチームで戦うことになったが、"Grande Torino" に敬意を表した相手クラブも同様にユースチームで対抗。結局このシーズンはそのままACトリノがスクデットを獲得した。ACトリノはその後、クラブの建て直しが上手くいかずに成績も低迷。1959-60シーズンにセリエB降格も経験するなどした結果、次のスクデット獲得までに実に27年を要した。
また、事故の翌年に行なわれたワールドカップ・ブラジル大会に参加したイタリア代表は、チームの再建が間に合わずグループリーグで敗退した(事故の痛ましい記憶から、ブラジルまでの移動に海路を選択したこともチームの不調に少なからず影響したと思われる)。
30歳でこの世を去ったACトリノのエース、ヴァレンティーノ・マッツォーラには、事故当時まだ6歳の幼い愛息・アレッサンドロがいた。アレッサンドロはその後父と同じ道を歩み、ミラノの強豪クラブ・インテルに入団した。後に1960〜70年代のイタリアを代表するスタープレイヤーとなる、サンドロ・マッツォーラその人である。