スラウハラド
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| スラウハラド Славгород | |
|---|---|
| 座標 : 北緯53度26分43秒 東経30度59分47秒 / 北緯53.44528度 東経30.99639度 | |
| 歴史 | |
| 最初の言及 | 1136年 |
| 市 | 1945年 |
| 旧名 | 露:プロポイスク 白:プラポイスク (1945年まで) |
| 行政 | |
| 国 | |
| 州 | |
| 地区 | スラウハラド地区 |
| 市 | スラウハラド |
| 人口 | |
| 人口 | (2016年現在) |
| 市域 | 7812[1]人 |
| その他 | |
| 等時帯 | FET (UTC+3) |
| 郵便番号 | 213245, 213240 |
| 市外局番 | +375 802246 |
| ナンバープレート | 6 |
| 位置図 | |
| 公式ウェブサイト : http://www.slavgorod.mogilev-region.by/ | |
スラウハラド(ベラルーシ語: Слаўгарад)はベラルーシ・マヒリョウ州スラウハラド地区(ru)の行政中心地をなす市である。人口は2004年の時点で8300人、2009年には7992人となった[2]。
歴史
史料の上での初出は1136年であり、スモレンスク公国による、都市のある場所への移住に関する記録がある。14世紀からはリトアニア大公国の一部となり、プロポイスク・スタロストヴォ(ru)[注 1]の行政的中心地だった。1607年には偽ドミトリー2世が現れ、密偵として逮捕されている。
1772年、第1次ポーランド分割によって帝政ロシア領となり、エカチェリーナ2世によってアレクセイ・ゴリツィンが公として据えられた[3]。1897年にはモギリョフ県のメステチコとなった。この時期の街には4つの製粉所、10の製油所、80の小店、穀物貯蔵庫などの商工業施設があり、電報郵便局、蒸気船の波止場、2つの教会などの施設があった、人口は4531人、屋敷の数は518を数えた。
市章と都市名

スラウハラドは河川に面した港湾都市であり、古い市章(紋章)は錨をモチーフとしていた。現在の市章は2005年に変更されたものであり、1708年のレスナーヤの戦いの勝利の記念碑が金色で描かれている[4]。
都市の名は、年代記の初出の時点ではプルポイ、プロポシュク等と記述されている[5]。1945年5月23日まではロシア語表記でПропойск(転写:プロポイスク)、ベラルーシ語表記でПрапойск(プラポイスク)という名称だった。これは市に面する河川に大渦が形成されるが、この土地の方言で大渦は「Пропой」と呼ばれていたことに由来する。1945年に師団の改編に伴い都市名も改称されたが、これは「プロポイスク近衛師団[注 2]」という名称はあまり好ましく感じられなかったことによる[注 3]。語り継がれるところでは、現在の都市名は独ソ戦の勝利に対する礼砲の意味合いを込めて、ヨシフ・スターリン自らが市のリストに書き加えたという。その際に、歴史的勝利を表す名としては、プロポイスクはあまりにも不釣り合いな名称であったことが改称の決め手となったという[8]。なお、改称以前から、ロシア語表記(Славгород)ではスラウハラドと同名となる都市(アルタイ地方のスラヴゴロド(ru):1914年命名、ウクライナのスラウホロド(ru):1938年命名)が存在していた。