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スリーヤンキース

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スリー・ヤンキースとは、1978年ジャニーズ事務所からデビューした女性アイドルトリオである。

ジャンル 歌謡曲
活動期間 1978年 - 1979年
レーベル キャニオン・レコード
概要 スリーヤンキース, ジャンル ...
スリーヤンキース
ジャンル 歌謡曲
活動期間 1978年 - 1979年
レーベル キャニオン・レコード
事務所 ジャニーズ事務所
メンバー 橋本美砂子
川崎志津子
松尾貴子
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メンバー

来歴

1978年3月、フジテレビの女子野球番組『ニューヤンキース』の企画として、同名の女子野球チームが作られた。視聴者から選手を一般公募し、約2,500人の応募者の中から選ばれた35人(平均年齢18歳)を女子野球選手として鍛え、芸能人の野球チームと対戦させるという内容で、同年4月から放映が開始された。

ユニフォームや道具、遠征費の一部はジャニーズ事務所が負担した[2]

ニューヤンキースのコーチには、元女子プロ野球選手の近藤信子と中村桂子らが就任。

この番組企画は、当時人気だった女子プロレスの「ビューティ・ペア」の野球版を狙ったもので、テレビという新しいメディアを通じて「興行としてのプロ」を目指したものであった。プロデューサーは女子プロレス中継と同じ吉田斉[3]

選ばれた選手の中には、ヤクルトスワローズ西武ライオンズの監督を務めた広岡達朗の長女も居たが、チームが芸能活動を始めると、父である広岡の意向で退団となった。

当初は土曜日の19:30~20:54というゴールデンタイムに放映されたが、平均視聴率が10%に届かず、半年後の9月からは、放映時間がゴールデンから格下げとなった。

その後、メンバーから選抜した3人を「スリーヤンキース」としてジャニーズ事務所から歌手デビューさせたり、女子プロレスにならって悪役軍団(「ブラックイーグルス」)を登場させるなどのテコ入れを行ったが実らず、2年後には放映が終了。

「ニューヤンキース」もしばらくしてフジテレビ傘下のチームとしては解散したが、その後ジャニーズ事務所が同社傘下のクラブチームとして継承した。日本女子野球協会(2代目・1978年2月設立の軟式野球組織。1983年解散)の全国大会にも出場し、1981年の第3回大会から1983年の第5回大会まで3連覇したが、第5回大会の直後に同協会が消滅し、その後クラブチームとしても解散した。

ジャニーズ事務所所属グループとしては数少ない女性タレントであった。

主な出演番組

テレビ番組

なお橋本は、解散後も先述の『女子プロレス』と『こちら情報部』をはじめ、『3時のおじゃまクイズ』(東京12チャンネル)の初代アシスタントなどで出演、またニューヤンキース時代の1979年と解散後の1980年には『新春オールスター大運動会』(TBS)にも出場(キャニオンチームで)、「走り高跳び」では同大会の女性記録となる「1m45」をマークした。

この他1979年7月21日公開の東映映画『わが青春のイレブン』(監督:降旗康男 / 主演:永島敏行)にも、ウエイトレス役で出演した。

雑誌

  • 月刊ウィークエンドスーパー 1978年11月号 セルフ出版(後の白夜書房) カラーグラビア4ページ

出演CM

当時同製品のCMに出演していた佐々木信也と、ニューヤンキースメンバーとして共演。

ディスコグラフィ

シングル

  • 「ザ・ベースボール」(1978年7月25日、キャニオン・レコード、C-108)

作詞:林春生、作曲:佐瀬寿一、編曲:エジソン。C/W(B面)収録曲は「ラッキーチャンス」(作詞:林春生、作曲・編曲:あかのたちお)。

『土曜グランドスペシャル』の後期OPテーマ(前期はニューヤンキース全員による別曲)として使用したが、ニューヤンキースが出演しない『欽ドン!SP』とプロ野球中継には使用せず。その一方、『火曜ワイドスペシャル』などの別枠でニューヤンキース番組を放送した際には、OPテーマとして使用した。

ステージ衣装はニューヤンキースの実戦用ユニフォーム(ニューヤンキースには練習用のセカンドユニフォームも存在)をモチーフにしており、胸には筆記体で「3Yankees」と書かれ、野球用のストッキングは履かず、脚むき出し状態だった。なお『土曜グランドスペシャル』冒頭で歌った時は、実戦用ユニフォーム姿で歌った。

脚注

外部リンク

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