スヴェンスクフーセットの悲劇
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スヴェンスクフーセット(Svenskhuset「スウェーデン人の家」の意)はスピッツベルゲン島最古の小屋である[1]。この小屋はスウェーデンの探検隊によってスヴァールバル諸島の厳冬期に悪天候をしのぐため1864年に建てられ、場所は現在の島内で最大の町ロングイェールビーンからIsfjordenというフィヨルドを挟んだ Thordsen 岬である[1]。
ノルウェー人のアザラシ猟師の一行がスピッツベルゲン島に足止めされたのは、1872年の秋のことである[2]。一行はこの地域を探査中のスウェーデン系フィンランド人の探検家アドルフ・エリク・ノルデンショルドに相談に行くが、ノルデンシェルド達は猟師全員にいきわたる量の物資を持ち合わせておらず、スヴェンスクフーセットになら備蓄があると伝えた。そこで食料と燃料と装備品を取ってこようと、グループから数名を現地に送ることになった[2]。独身の17名が選ばれると1872年10月14日、スヴェンスクフーセットを目指して手漕ぎボートで出発、350㎞先の目的地に7日かけて到達した[2]。残された他のノルウェー人たちの多くは氷が融けたのちにボートで脱出に成功。現地には2名が残ったが翌1873年春に壊血病により死亡し、ノルデンショルドにより埋葬された。
翌73年夏、岬に取り残された猟師たちを救出しに、フリッツ・マック (Fritz Mack) の先導するノルウェー船がトロムソを出港した[3]。スヴェンスクフーセットの小屋に着いた救出隊は、タープに包まれた遺体5体を戸外で発見する。内側から施錠された小屋のドアには、入室禁止の張り紙が貼ってあった。中に入ると椅子やベッド、床の上と、室内のあちこちに遺体があった[2]。この救出では総勢17人のうち、納棺して埋葬した遺体は合わせて15体である。残り2体は数年後の調査団によって発見された[2]。猟師の一人、カール・アルベルトセン (Karl Albertsen) は小屋の滞在中に日記をつけており、最初にハンス・ハンセン (Hans Hansen) という名の男が11月に亡くなり、クリスマスまでに小屋にいた全員が体調を崩したと記してあった[3]。日記の最後の記録は4月19日であり[1]、アルベルトセンは最後から2番目に亡くなったと推察された[4]。
