セザンヌ礼賛
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この絵の中心には、ポスト印象派の巨匠ポール・セザンヌの静物画『果物入れ、グラス、りんご』が描かれ、これをナビ派の画家や当時の批評家が取り囲み、何事かを話しながらセザンヌのことを称賛している[1]。場所は、パリのラフィット通りの画商アンブロワーズ・ヴォラールの店である[3]。
当時すでにパリから離れ主に南フランスで活動していたセザンヌは、今日のような世間的な評価を得てはいなかったが、その中でドニをはじめとするナビ派の画家らはその価値を見抜き、セザンヌには画家として大きな影響を受けていた。その尊敬をはっきりと示したのがこの作品であった。ドニはこの作品を1901年のサロン・ナシオナルに出品しており、彼らのセザンヌへの敬愛は公然のものであったとうかがえる[4]。
描かれた人物らは明らかにされており、中央で左手の人物に話をしているのが、ナビ派の創始者ポール・セリュジエ(またはポール・ゴーギャン)である。後方には、左から、エドゥアール・ヴュイヤール、シルクハットをかぶった批評家アンドレ・メレリオ、イーゼルの背後にいるアンブロワーズ・ヴォラール、作者モーリス・ドニ自身、ポール・ランソン、ケル=グザヴィエ・ルーセル、パイプをくわえたピエール・ボナール、そして一番右にはモーリス・ドニの妻マルタ・ドニが描かれ[1]、ナビ派の画家およびその関係者らが画面を占めている。
ただ一番左に立つ年配の人物は、何かを教え諭すように若者たちに語り掛けており、ほとんどの人物の視線は彼に注がれている。この目立つように描かれた人物は象徴主義の巨匠オディロン・ルドンであり、ルドンもまたナビ派、特にドニが敬愛した人物である[3][5][6]。
さらに画中には登場しないが、間接的にオマージュが捧げられている画家がいる。それが、ナビ派の精神的な指導者ともいえるポール・ゴーギャンである。中央の『果物入れ、グラス、りんご』は、当時すでにパリを去り南太平洋で画家を続けていたゴーギャンが旅立つまで所蔵していていた作品というだけでなく[1][3][7]、ゴーギャンはこの作品のことを「類まれな宝石であり、私の秘蔵品だ」と評するなど[8]、彼にとって特別な作品であった。
また人垣の背後にはゴーギャンとルノワールの絵の一部も見える[1]。
絵の大きさは、高さ180センチメートル、幅240センチメートルと、描かれた人物は等身大に近い。人物の立ち姿、イーゼル、杖により縦方向の要素が強い構図であり、これに明るい色遣いの長方形の静物画が対比されている[3]。ヴォラールは画面上方に突き抜けたイーゼルを掴んで立つなど窮屈そうなど、人物たちでキャンバスは埋め尽くされ余白はほとんどない。ドニ夫人もボナールの肩越しに覗きこむ位置に押し込まれている。縦方向の線に対し、人物たちの頭は横方向のリズムを作り出している。人々は黒いスーツを着ているが、これはアバンギャルドで知られるナビ派の好みとは異なるである[3]。
意義
ベリンダ・トンプソンは、『セザンヌ礼賛』を、ドニが、ゴーギャンやフィンセント・ファン・ゴッホに見られる派手な主観性、象徴性から離れ、セザンヌに見出した古典的価値の再発見に向かった作品だと述べている[9]。実際、ドニは、1898年のローマへの旅で、古典主義に対する関心を新たにしている[9]。後に、ドニは、1907年の『セザンヌ』や1909年の『古典主義のゴーギャンとファン・ゴッホ』といった論文の中で、古典主義こそフランス文化の伝統の核心にあるものだと主張している。こうした論考は、フランスの若い世代の画家たちに影響を与えた[9]。

この作品の下敷きとなっている可能性のある作品として、アンリ・ファンタン=ラトゥールの『バティニョールのアトリエ』(1870年)がある。同作品では、エドゥアール・マネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、エミール・ゾラ、クロード・モネなどが描かれている[3]。