セントラル楽器
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沿革
1949年に指宿楽器店として創業。1ヵ月後に周囲の中央会館・中央湯などにあやかって店名を「中央楽器店」に変更し、さらに一か月後「セントラル楽器店」に変更。趣味が高じて一時的に模型飛行機を扱うなどしつつもレコードや楽器を販売していた。
1956年からは島唄を録音しレコード化する事業に着手。1959年に大島ひろみの『島育ち』のレコードをリリースするが、のちにこれを東京都港区新橋の沖縄料理店で聴いた田端義夫が改めてレコーディングし、ヒット曲となったことで島唄が全国的に脚光を浴びる機会となった。
1961年に改めて株式会社セントラル楽器として発足。
1968年にヤマハ特約店としてヤマハ音楽教室を開設。のちに中孝介・恵アンナ・我那覇美奈・牧岡奈美などを輩出することとなる。
1985年からCDを扱い始め、同時にレコード部門から撤退する。
株式会社セントラル発動機
1956年6月にはヤマハオートバイの特約店としてオートバイを扱い始め、翌年11月21日には島民への普及を狙って名瀬の高千穂神社の階段をオートバイで駆け上がるパフォーマンスを行っている。1959年10月に株式会社セントラル発動機を立ち上げ、1961年に指宿良彦の弟・指宿光宝に譲渡したのちはバイクに関わっていない。