セーニー・サオワポン
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セーニー・サオワポン(タイ語:เสนีย์ เสาวพงศ์、本名:サクチャイ・バムルンポン、タイ語:ศักดิชัย บำรุงพงศ์、1918年7月12日 - 2014年11月29日)は、タイの作家、外交官、ジャーナリスト[1][2]。
現地語名
เสนีย์ เสาวพงศ์
ペンネーム
セーニー・サオワポン
เสนีย์ เสาวพงศ์
เสนีย์ เสาวพงศ์
誕生
サクチャイ・バムルンポン
ศักดิชัย บำรุงพงศ์
1918年7月12日
タイ サムットプラーカーン県バーンボー郡
ศักดิชัย บำรุงพงศ์
1918年7月12日
| セーニー・サオワポン เสนีย์ เสาวพงศ์ | |
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| 現地語名 | เสนีย์ เสาวพงศ์ |
| ペンネーム |
セーニー・サオワポン เสนีย์ เสาวพงศ์ |
| 誕生 |
サクチャイ・バムルンポン ศักดิชัย บำรุงพงศ์ 1918年7月12日 |
| 死没 |
2014年11月29日(96歳没) |
| 最終学歴 | タンマサート大学 |
1918年7月12日にサムットプラーカーン県のバーンボー郡で生まれる。小学校時代から短編を書き始めた。その後、チュラーロンコーン大学で建築学を専攻するが、父親の死により中退を余儀なくされた[1][2]。
そして、新聞記者として働いていたが自身が執筆した記事が当時の政権に影響を与え辞職した。1939年に商務省に入省。その後ドイツのフンボルト大学の留学試験合格したが、第二次世界大戦の影響によりタイに帰国した。帰国後の1941年にスワンナプーム紙の記者として記事を書くだけではなく、セーニー・サオワポンのペンネームで短編を連載を始めた。1942年にタンマサート大学法学部を卒業して外務省に入省した[1][2]。
1947年以降は外交官として世界各国を転々として、ソビエト連邦(1947年-1954年)、アルゼンチン(1955年-1960年)、インド(1962年-1965年)、オーストリア(1968年-1972年)、イギリス(1973年-1975年)で勤務した。その後、1975年にはエチオピア大使、1976年にビルマ大使に就任し1978年に定年退職した[1][2]。
定年後に新聞社のマティチョン社の顧問を勤め、1988年にシーブーラパー賞を、1990年にタイ王国国家芸術家賞を受賞した。 2014年11月29日にバンコクの病院にて死亡した[1][2]。