ソールズベリのジョン
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生涯
1115年から1120年のあいだ頃、イングランドのソールズベリ郊外にあるオールド・セラムに生まれる[8]。聖堂参事会に関わる家の出身と推定される[8][6]。
1136年から、パリに遊学し、アベラルドゥス、ロベルトゥス・プルス、ムランのロベルトゥス、コンシュのギヨーム、シャルトルのティエリ、ギルベルトゥス・ポレタヌスらの講義を聴く[8]。
1147年ごろ帰国し、クレルヴォーのベルナルドゥスからカンタベリー大司教シオボルド・オブ・ベック(ベックのテオバルド)への推薦状により、カンタベリー大司教座に奉職[9]。テオバルドの秘書を務める[10]。1150年代、大司教の代理として何度か教皇庁に滞在する[9]。
1150年代後半、何らかの理由で英王ヘンリー2世の不興をこうむり、大司教座から一時離職し、著述に専念する[9]。1159年、『ポリクラティクス』と『メタロギコン』を完成させる[9]。
1160年代、ヘンリー2世とカンタベリー大司教トマス・ベケットが聖職者裁判権などをめぐり対立すると、友人セルのペトルスが院長を務めるランスのサン=レミ修道院に身を寄せ、書簡などでベケットの擁護活動をする[9]。
思想・著作

信仰と学問を調和させるシャルトル学派の理念を継承している[12]。当時参照可能だった古典を豊富に引用しており[11]、特にキケロに傾倒していた[13][5][6][14]。ローマ法や、イスラーム圏経由のアリストテレス論理学(新論理学)にも通じていた[12]。
- 『ポリクラティクス』(Policraticus) - 政治社会論[11]。君主の鑑に属する[15]。国家有機体説、暴君放伐論、国家に対する教会の優位[15]、占いや魔術の批判[16]などを論じる。
- 『メタロギコン』(Metalogicon) - 論理学を中心とする自由学芸論[17]。人文主義的な教育理念や、普遍の問題、ソフィスト的詭弁の批判などを論じる[17]。日本語訳に 甚野ほか 2002 がある。
- 『哲学諸説』(De dogmate philosophorum) - 哲学史的著作[5]
- 『教皇史』(Historia pontificalis) - 教皇エウゲニウス3世期の出来事を、教皇庁滞在時の見聞を交えて記す[11]。
- 『聖トマス・ベケット伝』[6]
- 『聖アンセルムス伝』[6]
- 『エンテティクス』(Entheticus) - 道徳詩[6]。
- 書簡集[6]
「巨人の肩の上」
慣用句「巨人の肩の上に乗る」は、『メタロギコン』3巻4章にシャルトルのベルナルドゥスの言葉として見え、「アリストテレスなどの古典の恩恵を受けている」という意味合いで使われている[18]。
