1920年代後半、ソビエト連邦(ソ連)政府は最初の五カ年計画 による急速な工業化に起因する財政逼迫により、取り急ぎ外貨が必要だった。ソ連政府は貴族や金持ち、教会等から没収した宝石、家具、イコン のコレクションは既に売却してしまっていた。
アントワーヌ・ヴァトー 『メズタン 』 1767年にエカチェリーナ2世がエルミタージュのために購入、1930年ソ連政府によりカルースト・グルベンキアンに売却。1934年ニューヨーク メトロポリタン美術館が購入
アントワーヌ・ヴァトー の『メズタン 』 は、エルミタージュのためにエカチェリーナ2世が1767年に購入したものだった。この絵は1930年にカルースト・グルベンキアン に売却され、続いて1934年にはニューヨークのメトロポリタン美術館 に売却された。
1928年2月、エルミタージュ美術館とロシア美術館 は、最低でも200万ルーブル 相当の輸出向け美術品のリストを作成するよう命じられた。教育人民委員部 (英語版 、ロシア語版 ) の傘下に「Antiquariat (ロシア語版 ) (骨董屋)」と呼ばれる特別な組織が作られ、売買の監督目的でレニングラードにこの組織専用のオフィスも設けられた。エルミタージュに対しては、古代スキタイ の彫版や多数の金製の宝物、250点の絵画を1点当たり5,000ルーブル以上で販売するようにという指導がなされた。
販売は秘密にされたが、次第に西側の美術品ディーラーや収集家の間に噂が広まっていった。
エルミタージュの作品を最初に購入した外国人は、イラク石油会社 (Iraq Petroleum Company) の創始者であるカルースト・グルベンキアン (Calouste Gulbenkian) で、1930年初期に石油と引き換えに絵画を入手した。だが販売の仲介者はグルベンキアンの支払った額に不満を感じ、他の買い手を探し始めた。
アンドリュー・メロン は米国の銀行家で、ウォレン・ハーディング 、カルビン・クーリッジ 、ハーバート・フーバー の各大統領の財務長官 を務め、また美術品の収集家でもあった。この当時は駐英米国大使をしていた。メロンはロンドンの国立美術館を手本として米国にも国立の美術館を作りたいと考えていたところに、自らがしばしば美術品を購入して親しくしていた画廊であるニューヨークのノードラー商会 からエルミタージュが秘密販売を行うという情報を得た。
フランツ・ザッツェンシュタイン=マシーセン (ドイツ語版 、ロシア語版 ) は当時まだ若い美術品ディーラーだったが、ソ連政府から何があっても売却しない絵画100点のリストの作成を依頼されたことがあった。しかし、リストに入れた作品のうちの何点かが既にソ連を出てパリ にあるということを知って驚いた。これらはグルベンキアンが買ったものだった。グルベンキアンはさらにもっと絵を買いたいので代理人になってくれと依頼したが、マシーセンはロンドンのコルナギ、およびメロンの代理人であるニューヨークのノードラー商会との連合(コンソーシアム)を組むことを選択した。1930年及び1931年の2年間で、コンソーシアムは先買権 [ 2] を持つメロンに対してオファーを行い、合わせて21点の絵画をソ連政府より購入した。1931年末の段階でメロンは21点の絵画に対して合計6,654,000ドルを支払った。この購入品にはファン・エイクの『受胎告知 』、およびラファエロの『アルバの聖母 』も含まれている。後者は1,166,400ドルの値が付き、これは当時の絵画1点の価格として最高のものだった。コンソーシアムはニューヨーク メトロポリタン美術館 など他の顧客にも何点かの絵画を販売した。
この売却は、1933年11月4日にニューヨーク・タイムズ によってメトロポリタン美術館がファン・エイクの『キリストの磔刑と最後の審判』 を購入したことが報じられるまで公にされなかった。
この一連の売却は1934年には終了した。スターリン がエルミタージュの副館長であるヨシフ・オルベリ (ロシア語版 、英語版 ) に宛てた手紙で、ロシアの宝を売ってしまうことに反対を唱えたためと考えられている。エルミタージュの館長だったボリス・レグラン (ロシア語版 、英語版 ) は元々この売却を実行するためにエルミタージュに派遣されたが、1934年に辞任し、代わってオルベリが館長になった。
1937年、アンドリュー・メロンは件の21点の絵画をナショナル・ギャラリー建設資金とともに米国政府に寄付した。これらの絵画は今でもナショナル・ギャラリーのコレクションの中核をなすものとなっている。
同時期に売却されたものの中には、ロシア国立図書館のシナイ写本 (1933年に大英博物館に100,000ポンドで売却、その後1937年以降は大英図書館所蔵、2017年現在の価値はおよそ640万ポンド [ 3] )、フィンセント・ファン・ゴッホ の『夜のカフェ』などが挙げられる。
1990年代のソ連崩壊後、新生ロシアの連邦議会 はロシアの美術品を海外に売却することを禁じる法律を成立させた。
ロシアが自国財産だと主張して返却を拒むのではないかという懸念があったため、長年にわたりナショナル・ギャラリーはこれら購入絵画類をエルミタージュに貸し出すことをしなかった。だがこの考えは1990年にミハイル・ピエトロフスキがエルミタージュの館長になって変わった。現在では何点もの絵画の貸し出しが行われている。ヴェチェッリオの『鏡のヴィーナス』は、ジョージ・W・ブッシュ 米大統領が2002年の訪ロ時にサンクトペテルブルク を訪れ、この際に貸し出しが行われた。